1928-1975

創部から関西Aリーグへの挑戦

1905年

KOBELCOグループ

創立

鋳鍛鋼事業スタート

1914年

KOBELCOグループ

機械事業スタート

1916年

KOBELCOグループ

鋼材事業スタート

1917年

KOBELCOグループ

銅事業スタート

1926年

KOBELCOグループ

エンジニアリング事業スタート

1928年昭和3~4年

チーム
10月21日
徳田治三郎部長を発起人にラグビー部創部
11月17日
関西学院グラウンド(現王子公園)にて初練習
12月8日
神戸高専グラウンドにて対外初試合

部長:徳田 治三郎 / 主将:柳生 三郎

1929年昭和4~5年

チーム
10月4日
近鉄花園ラグビー場完成

部長(ヘッドコーチ):高橋 良一
主将:柳生 三郎

1930年昭和5~6年

KOBELCOグループ

建設機械事業スタート

1931年昭和6~7年

チーム

第1回神戸実業団ラグビー連盟大会開催

1934年昭和9~10年

チーム

部長:池田 英雄 / 主将:徳田 文雄

1935年昭和10~11年

チーム

第5回神戸実業団ラグビー連盟大会優勝

主将:森田 満茂

1936年昭和11~12年

チーム

第6回神戸実業団ラグビー連盟大会 2年連続で優勝

1937年昭和12~13年

KOBELCOグループ

株式上場

アルミ事業スタート

1940年昭和15~16年

KOBELCOグループ

溶接事業スタート

1942年昭和17~18年

チーム

戦争激化のため、ラグビーの練習が不可能になる

主将:山脇 陽三

1947年昭和22~23年

チーム

部員たちの復員により、ラグビー部活動再開

主将:竹内 茂夫

1948年昭和23~24年

チーム

監督:大沢 寿邦 / 主将:竹内 茂夫

1949年昭和24~25年

チーム

第1回全国実業団ラグビーフットボール大会開催

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:中島 貫蔵

1950年昭和25~26年

チーム

第2回全国実業団ラグビーフットボール大会に初出場

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:中島 貫蔵

1951年昭和26~27年

チーム

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:松下 哲三

1952年昭和27~28年

チーム

柴垣がラグビー部で初めて日本代表メンバーに選出される

11月22日
秩父宮ラグビー場完成

部長:山脇 陽三 / 総監督:大沢 寿邦
監督:池浦 次郎 / 主将:松下 哲三

1953年昭和28~29年

チーム

部長:山脇 陽三 / 主将:柴垣 復生

1954年昭和29~30年

チーム

練習グラウンドであった通称三角グラウンドを神鋼病院建設のため閉鎖

部長:山脇 陽三 / 主将:萩原 文彦

1955年昭和30~31年

KOBELCOグループ

金属チタン、国内初の工業生産

チーム

部長:小松 正美 / 主将:三宅 哲夫

1956年昭和31~32年

チーム

部長:小松正美 / 主将:松本 幸司

1957年昭和32~33年

チーム

全国社会人大会の出場枠が8チームから16チームへ拡大、前年度優勝チームのシード出場と、兵庫地区などの予選大会増加

部長:竹峰 五郎 / 主将:喜多島 正治

1958年昭和33~34年

チーム

部長:竹峰 五郎 / 主将:喜多島 正治

1959年昭和34~35年

KOBELCOグループ

銑鋼一貫体制の確立

チーム

関西社会人Aリーグ開設

部長:関本 琢治 / 主将:荒川 要

1960年昭和35~36年

KOBELCOグループ

ニューヨーク事務所開設

チーム

部長:関本 琢治 / 主将:荒川 要

1961年昭和36~37年

チーム

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

1962年昭和37~38年

KOBELCOグループ

海外プラント事業スタート

チーム

新設された関西社会人Cリーグに加入

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

1963年昭和38~39年

チーム

丸山グラウンド完成により、一角をラグビー部の練習用に使用できるようになる

部長:松成 研三 / 主将:浅利 明

1964年昭和39~40年

チーム

関西社会人Bリーグに昇格

4月
兵庫県実業団春季大会に9年ぶり優勝

第1回ラグビー日本選手権開催

部長:滝本 楠政 / 監督:松下 哲三
コーチ:鈴木 正直、岩本 治人、荒川 要、上仲 俊行
主将:貝野 通弘

1965年昭和40~41年

チーム

この時よりジャージの色が現在の赤に。

1月
第17回全国社会人大会に11年ぶりに出場。

部長:滝本 楠政 / コーチ:浅利 明
主将:根岸 佳春

1966年昭和41~42年

チーム

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明、谷沢 藤太郎
主将:小坂 登

1967年昭和42~43年

チーム

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明
主将:小池 雄吉

1968年昭和43~44年

KOBELCOグループ

タイに製造拠点開設

チーム

関西社会人Bリーグを1勝5敗とし、C1リーグに降格
神戸製鋼ラグビー部 OB会を結成

部長:鈴木 正直 / コーチ:浅利 明
主将:栗西 康雄

1969年昭和44~45年

チーム

くろがねクラブの組織改正。陸上、排球、野球の3スポーツを「専門団」として支援。
ラグビー部は、引き続き同好会組織とすることを決定。

関西社会人Bリーグに復帰

3月
第1回アジア大会開催

ルール改正により、「ラック」「モール」が登場

全国社会人大会の出場枠が、兵庫県から近畿2地区へ変更

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明
コーチ:栗西 康雄
主将:佐合 一三

1970年昭和45~46年

KOBELCOグループ

加古川製鉄所完成

チーム

第1回兵庫県ラグビーカーニバルに出場

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:佐合 一三

1971年昭和46~47年

チーム

女子マネージャー誕生

関西社会人Bリーグで初出場(ユニチカと同率)

入替戦にはユニチカが出場

部長:青木恒哉 / 監督:浅利 明 / コーチ:栗西 康雄
主将:三浦 義武

1972年昭和47~48年

チーム

ルール改正によりトライ4点、ゴール6点に得点方式を変更
(従来はトライ3点、ゴール5点)

部長:浅利 明 / 主将:大前 駿二

1973年昭和48~49年

チーム

関西社会人Bリーグ優勝

1月27日
関西社会人A-B入替戦に挑戦。栗田工業に敗退、昇格ならず

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:照喜名 二郎

1974年昭和49~50年

チーム

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:菅 伯明

1975年昭和50~51年

KOBELCOグループ

新交通システム、沖縄国際海洋博会場での「海洋博KRT」運転開始

チーム

関西社会人Bリーグ連続優勝

1月25日
関西社会人A-B入替戦で京都市役所を破り、関西社会人Aリーグ昇格

灘浜グラウンドにナイター設備が完成

部長、監督:浅利 明 / コーチ:大前 駿二
主将:前田 寿雄

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