7連覇達成
米国統括会社設立
ジャージに「Steelers」のロゴを採用
第41回全国社会人大会決勝で、東芝府中を破り、初優勝
第26回日本選手権で、大東文化大学を破り、初の日本一に
神戸市から特別表彰、兵庫県から「県の誉賞」を授与
各地区でのリーグ戦が、全国社会人大会の予選を兼ねることに
1989年11月、V1達成を記念し、新しいクラブハウスが建設された。ドアには「Body of Steel, Heart of Gold, We Call Them "Steelers"」の文字が。
1989年、クラブハウス新装に伴い、トレーニングルームも完備された。
1989年1月10日東芝戦 No.8大西の突進
1989年1月10日、昭和天皇崩御のため2日遅れで行われた第41回全国社会人大会決勝。神戸製鋼は東芝府中に23対9で勝ち、悲願の初優勝を遂げた。
1989年1月15日大東戦 同点からの前半33分、CTB平尾がポスト下にトライ。
1989年1月15日の第26回日本選手権では、大東文化大学を46対17の大差で破り、日本一に輝いた。
部長:平田 泰章
主将:平尾 誠二 / 副将:大八木 淳史、藤崎 泰士
昭和天皇崩御。8日に開催予定の第41回全国社会人大会決勝は、2日後に順延される。
灘浜グラウンドにクラブハウス完成。グラウンドに芝生が整備される。
第42回全国社会人大会決勝でサントリーを破り、V2達成。
第27回日本選手権で、早稲田大学を破り、V2達成。
1990年1月8日サントリー戦 ラインアウトでボールをキープするLO大八木。
1990年1月8日、改装前の花園ラグビー場で行われた第42回全国社会人大会決勝は、初めて決勝に勝ち進んできたサントリーとの対戦となった。28対15で快勝し、V2を達成した。
1990年1月15日の第27回日本選手権では、早稲田大学に、58対4の大差で勝利。当時の日本選手権最多得点差となった。当時の早稲田大学には、堀越、増保といった選手がいた。
部長:平田 泰章
主将:平尾 誠二 / 副将:大八木 淳史
コーチ:大山 文雄
第43回全国社会人大会決勝で三洋電機を破り、V3達成
1991年1月8日三洋戦 (WTBウィリアムスが三洋電機ナモアを最後に振り切る)
1991年1月8日三洋戦 (ウィリアムスがポール右横にトライ。FL杉本とSO藪木が駆け寄る。レフェリーは現日本協会副会長の真下氏)
1991年1月8日三洋戦 (表彰式で観客に応える選手たち。まさに満身創痍の優勝だった)
現在も「歴史に残る名勝負」と言われているのが、1991年1月8日に行われた第43回全国社会人大会決勝である。三洋電機に終始リードされるも、インジュアリータイムに入った後半43分、平尾からボールを受けたウイング・ウィリアムスが50メートルを独走し、同点のトライ。その後のゴールも決まり、18対16という劇的な勝利をおさめた。
1991年1月8日三洋戦 (表彰式で観客に応える選手たち。まさに満身創痍の優勝だった)
現在も「歴史に残る名勝負」と言われているのが、1991年1月8日に行われた第43回全国社会人大会決勝である。三洋電機に終始リードされるも、インジュアリータイムに入った後半43分、平尾からボールを受けたウイング・ウィリアムスが50メートルを独走し、同点のトライ。その後のゴールも決まり、18対16という劇的な勝利をおさめた。
1991年1月15日明治戦 (後半2分、LO大八木の中央突破によるトライ。当時明治大学には、冨岡(洋)、飯塚、元木といった選手たちがいた)
1991年1月15日明治戦 (SH萩本からFL武藤へのパス)
1991年1月15日に行われた第28回ラグビー日本選手権では、明治大学に38対15で快勝。このころから、社会人チームと大学生チームとの力の差が浮き彫りになっていった。
部長:平田 泰章
主将:平尾 誠二 / 副将:大八木 淳史
コーチ:大山 文雄
第2回ワールドカップに、林、大八木、平尾、細川、堀越が日本代表に選出
国際親善試合で、オックスフォード大学(英)と対戦
第44回全国社会人大会決勝で三洋電機を破り、V4達成
第2回ワールドカップ開催(イングランドほか)
1991年シーズンの社会人大会から、大八木がフランカーにコンバートされた。
1992年1月8日第44回全国社会人大会決勝、前半34分、モールからFLに入った大八木がトライ。ゴールも決まって18点とする。(試合は24対15で勝利
1992年1月8日の第44回社会人大会決勝では、三洋電機と2年連続の戦いとなったが、後半の三洋電機の猛攻に耐え、24対15でV4を達成した。
1992年1月15日の第29回ラグビー日本選手権も、2年連続明治大学との対戦となった。前半31分、CTB細川が右隅へトライ。明治ディフェンス側には、元木の姿も見える。
部長:内田泰久 / 副部長:大山 文雄
主将:大西 一平 / 副将:イアン・ウィリアムス
第45回全国社会人大会決勝で東芝府中を破り、V5達成
近鉄花園ラグビー場大改装
1992年12月27日、第45回全国社会人大会準々決勝。マツダのパント攻撃に悩まされながらも、後半35分、WTB冨岡(剛)が、3人を引きずりながら左隅へダメ押しのトライを挙げた。
1993年1月3日、第45回全国社会人大会準決勝。三洋電機の度重なるペナルティーから、着実にPGを決めていき、ノートライながらも12対8で三洋電機を下しCTB平尾の突進。
1993年1月9日東芝戦 (前半32分、SO藪木が東芝ラインを突破)。
1993年1月9日東芝戦 (表彰式で、勝利のジャンプ。メンバーは、福本、弘津、山下、林、ウェンズレー、武藤、大八木、大西、堀越、藪木、冨岡(剛)、加藤、平尾、ウィリアムス、綾城)
1993年1月9日の第45回社会人大会は、氷雨という悪コンディションで行われた。東芝府中の猛追をかわし、20対19でV5を達成した。
1993年1月9日東芝戦 (表彰式で、勝利のジャンプ。メンバーは、福本、弘津、山下、林、ウェンズレー、武藤、大八木、大西、堀越、藪木、冨岡(剛)、加藤、平尾、ウィリアムス、綾城)
1993年1月9日の第45回社会人大会は、氷雨という悪コンディションで行われた。東芝府中の猛追をかわし、20対19でV5を達成した。
1993年1月15日、第30回日本選手権。前半28分、FWの突進からPR山下がトライを挙げる。
1993年1月15日の第30回ラグビー日本選手権。この試合も雨の中での戦いとなった。法政大学を41対3とノートライに抑えて勝利。当時の法政大学には、伊藤(剛)や苑田がいた。
部長:内田泰久 / 副部長:大山 文雄
主将:大西 一平 / 副将:イアン・ウィリアムス
第46回全国社会人大会決勝で、三洋電機を破り、V6達成
ルール改正により、トライの得点を4点から5点に変更
部長:深澤正弘 / 副部長:大山文雄
主将:大西 一平 / 副将:細川 隆弘
第1回Steelersチャリティフェスタを開催。
関西Aリーグ、ワールド戦で24-25で敗退。これにより、1988年12月24日以来続いた国内公式試合連勝記録が71でストップする。
第47回全国社会人大会決勝で東芝府中を破り、新日鐵釜石以来のV7達成。
第32回日本選手権で、大東文化大学を102-14で破り、7年連続日本一を達成。
阪神・淡路大震災発生。灘浜グラウンドも液状化現象を起こし練習不能に。
1995年1月8日東芝戦 (前半30分、FL武藤の中央突破からのトライ)
1995年1月8日東芝線 (V7を達成した表彰式後の記念撮影。ベテラン勢に混ざり、中道、伊藤(剛)、増保、元木、吉田といったゴールデンルーキー、2年目の清水が見える)
1994年シーズンは、関西リーグ中にワールドに敗れて連勝記録が71でストップしたが、1995年1月8日の第47回社会人大会決勝で、東芝府中を37対14で下し、新日鉄釜石に並ぶV7を達成した。
1995年1月8日東芝線 (V7を達成した表彰式後の記念撮影。ベテラン勢に混ざり、中道、伊藤(剛)、増保、元木、吉田といったゴールデンルーキー、2年目の清水が見える)
1994年シーズンは、関西リーグ中にワールドに敗れて連勝記録が71でストップしたが、1995年1月8日の第47回社会人大会決勝で、東芝府中を37対14で下し、新日鉄釜石に並ぶV7を達成した。
1995年1月15日の第32回ラグビー日本選手権では、大東文化大学を102対14という記録的大差で破り、7年連続日本一を達成した。あの、阪神・淡路大震災の2日前、チームは頂点に立つ喜びをひしひしと味わっていた。
部長:深澤正弘 / 副部長:大山文雄
主将:細川 隆弘 / 副将:冨岡 洋