チーム
- 9月29日ブリティッシュコロンビア大学と国際親善試合に兵庫県代表チームとして参加
- 12月5日関西Aリーグを1勝5敗でユニチカ、栗田工業と並び同率最下位で終える
ルール改正により、ヤードからメートル表示へ
部長:浅利 明 / 監督:大前 駿二 / 主将:二階堂 洋史
全国制覇への道
昭和51~52年
昭和52~53年
昭和53~54年
昭和54~55年
昭和55~56年
昭和56~57年
昭和57~58年
昭和58~59年
昭和59~60年
1984年12月2日トヨタ戦
(ラック、モールで優位に立つ神戸製鋼フィフティーン。PR兼平、SH萩本の顔が見える。)
このシーズンから神戸製鋼は、監督制を廃止した。1984年12月2日の関西リーグでは、19対16と、悲願のトヨタ自動車戦に勝利し、関西リーグ初の単独優勝を遂げた。
昭和60~61年
1986年1月2日の第38回全国社会人大会準決勝で、新日鉄釜石を13対9で破り、同チームのV8を阻止。しかし、続く決勝では、トヨタ自動車にスクラム攻勢をかけられ、3対12で敗れた。
(FB下坂、CTB大山、WTB菅野、WTB岩崎、決勝トライを決めたCTB藤崎、SH萩本、No.8佐藤などの顔が見える。中央で目頭を押さえているのは、LO大八木)
昭和62~63年
昭和62~63年