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12月3日(月)井関信介選手がトークライブに出演しました

大阪・北浜にあるラグビー普及促進酒場「ラグビー部マーラー」で開催のラグビージャーナリスト・村上晃一さんの司会によるトークライブに、井関信介選手が出演しました。

もともとこのトークライブは、10月29日(月)に開催される予定だったのですが、10月13日(土)に行われた第6節vs豊田自動織機シャトルズ戦で井関選手が負傷したため延期となり、12月3日(月)に。会場には、第5節vs日野レッドドルフィンズ戦で4トライをマークし、将来を嘱望されているルーキーの井関選手のトークを楽しみにする約30名のラグビーファンが集まりました。

トークはまずダン・カーター選手のことから。というのも、井関選手とカーター選手はクラブハウスのロッカーが隣同士。村上さんから「ダン・カーター選手はどんな人?」と聞かれ、井関選手は「いい人ですし、めちゃめちゃかっこいいです!体もバキバキに鍛えられているんですよ」と話していました。コベルコスティーラーズで筋肉といえば、前川鐘平キャプテンのイメージですが、井関選手は「前川さんの筋肉はボリュームがある感じで、DC(ダン・カーター)はキレですね」と説明。また、カーター選手から飛ばしパスの取り方を教えてもらった時に、近くにいたアダム・アシュリークーパー選手とカーター選手の意見が食い違い、両選手の間で議論がはじまってしまったエピソードを披露。「通訳もいなかったので、英語もわからないし、二人の間で右往左往していました。結局、両方の意見を取り入れたやり方をするようにしています」と井関選手。これには村上さんは「ニュージーランドとオーストラリア、合わせて229キャップ(カーター選手112キャップ、アシュリークーパー選手117キャップ)!恵まれた環境でラグビーをしているんやね」と改めて驚嘆した様子でした。この後、話題はこれまでの競技歴について。

愛知県春日井市出身で、6人兄弟の上から3人目という井関選手。お父様が高校時代、ラグビー部に所属していたこともあり、その影響で3歳上の兄がラグビースクールに通い始めたそう。「兄のスクールについていっていたら、いつの間にか僕もラグビーをはじめていました」。中学校にはラグビー部がなかったため、柔道部に。部活紹介の時に、先輩たちが仮装をしていて、一番、面白かったからという理由で入部を決めた柔道部ですが、実はかなりの強豪校だったそう。それでも井関選手は、持ち前の運動神経の良さをいかして、頭角を現し、中学3年の時にはキャプテンに。「平日は柔道をして、週末はラグビースクールでラグビーをしていました。昇段試験がある土日はラグビーをしていたので、結局、白帯のまま。周りは黒帯ばかりの中、僕は白帯のキャプテンでした」と笑いを取っていました。進んだ天理高校での寮生活については、学校と寮、グラウンドが敷地内にあり、外出できる日が週に1度、1時間だけだったことを話し、会場からは驚きの声が。花園には1年、2年の時は御所実業に敗れ、出ることができなかったのですが、高校2年の時に監督が替わってからラグビースタイルが変わり、徐々に勝てるように。高校3年の時に、クボタスピアーズで天理高校、天理大学出身の立川理道選手が卒業して以来、6年ぶりとなる花園出場を果たしたそう。大学は、「選択肢がなかったですね(笑)」とのことで、天理大学へ。そして、大学卒業後は、優勝を狙えるチームだと思ったという理由から、コベルコスティーラーズに入部することを決意。シーズンがはじまった当初は足の怪我があり、リハビリ生活を送っていましたが、網走合宿から復帰したそう。村上さんから「すぐにチームが目指すラグビースタイルに慣れた?」と聞かれ、「リハビリの合間にサインプレーを覚えたり、練習を見てノートを取ったりしていたので、すんなりと入ることができました」と、勉強家の一面も。また、ステップも得意ではなかったそうですが、大学時代にタッチラグビーの日本代表選手からステップを教えてもらう機会があり、そこで感覚が身につき、さらにアイランダーのステップを動画で見て真似をするなどし、いろいろな抜き方を習得したそう。「第5節の日野戦では、ステップの研究をしてきたことをすべて出すことができました」と、満足げに振り返っていました。

真面目な話だけでなく、随所に小ネタを挟み、笑いの連続となった約1時間のトークの後は懇親会へ。最後に、チームグッスが当たる抽選会を行い、イベントは終了。

井関選手は「早く怪我を治してグラウンドに復帰できるようにしたいと思います。個人的には7人制日本代表で五輪出場を目指しています。そのためにもまずはコベルコスティーラーズで試合に出られるように頑張ります!」と熱い言葉で締めくくっていました。ご参加いただいた皆様、これからも井関選手の応援をよろしくお願いします!

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