close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

平島久照選手インタビュー「熊本出身の僕が頑張っている姿を見せて、みんなを元気づけられるように」

 取材日:2017年4月18日

平島久照選手インタビュー「熊本出身の僕が頑張っている姿を見せて、みんなを元気づけられるように」

出身地である熊本県のマスコットキャラクター「くまモン」のような大きな体でスクラムを押しまくる平島久照選手。昨年4月に発生した熊本地震では、故郷の熊本市に帰省中に被災。震災から1年、当時の状況を振り返ってもらうと共に、さまざまな話を聞いた。

平島久照

Hisateru Hirashima

PROFILE
  • 1983年1月15日生まれ(34歳)、熊本県熊本市出身
  • 熊本ラグビースクール→熊本西高→福岡大→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(2005年入部)
  • ポジション/PR
  • 身長・体重/181cm・110kg
  • 2016-2017シーズンまでの公式戦出場回数(プレシーズンリーグ2015含む)144
  • 代表キャップ/42

大好きな熊本のために

熊本地震から1年が経ちました。あの時、平島選手は帰省していたんですよね。改めて当時の状況を伺いたいのですが。

「実家は被害が大きかった益城町に隣接する熊本市東区にあるんですが、1回目の地震の時は、実家近くに住む母親の姉妹の家にいたんです。食事をしている最中にグラグラッときて、慌てて外に出ました。それから同じ地域に祖母が一人で住んでいるので見に行きました。家の中は物が散乱していましたが、幸い建物には被害はなくて。それから実家に帰ったんですが、祖母の家と同様に家の中はぐちゃぐちゃになっていたので、その夜は車の中で過ごしたんです。そして翌日、朝から実家と祖母の家を一気に片付けました。前の晩、ちゃんと寝ていないし、片付けの疲れも出て、早めに就寝したら、夜中に本震がきた。実家は平家なんですけれど、縦にも横にも揺れて...。強さは14日の地震と同じくらいだったのですが、なかなか収まらなかった。揺れを感じなくなってから、外へ出たら、壁にヒビが入って、屋根が傾いていて、道路も陥没していた。家の中もあらゆるものが倒れて、またぐちゃぐちゃになってしまいました。それからは余震が怖いこともあって、車内で寝泊まりしていたんです。幸い実家は農家なので、米がありますし、井戸もあるので、水を汲んで使って、なんとか生活はできたのですが、実家のあたりでは救援物資が届かなくって、大変な思いをしている人がたくさんいました」

物資が届いていないことや配給、給水場所の情報が伝わっていないことをラグビー関係者にメッセージを発信されたそうですね。

「最初に熊本県ラグビー協会の方からメッセージを拡散してほしいとお願いされたんです。それで、日本代表のLINEグループにメッセージを送ったら、みんながFacebookやTwitterなどで拡散してくれて。それを見て、福岡から高校のOBが直接実家のある地域に物資を持ってきてくれたりしました。ありがたかったですね。僕は1週間ほどして、寸断されていた道路が福岡までつながったのを機に、車で神戸へ戻ったのですが、その後も、いろいろな方から物資を届けていただきました。うちの母親が間に入って、近くにある小さな避難所に物資を持っていったりしていました」

このオフは実家に帰省されたのでしょうか?

「4月1日から1週間ほど帰っていました。家の中は片付きましたが、屋根がまだ傾いていて、ジャッキを使って持ち上げている状態です。周りの家もブルーシートがかけられていたり、道路が陥没したままだったりして、まだまだ復旧には時間がかかるように思います」

熊本城の復旧も20年かかるそうですね。

「熊本城は帰省の際に必ず足を運んでいたので、見慣れた場所がああいう姿になってしまったことはとてもショックです。僕は熊本が好きですし、大好きな熊本のためにも、熊本出身の僕が頑張っているところを見せて、みんなを元気づけることができればと思います」

熊本のためにも、13年目のシーズンもスクラムを押しまくらないといけませんね。ちなみに、プロップの大先輩であるOBの清水秀司さん(1993年度〜2008年度)は15年現役を続けました。

「近づいてきましたね。最初はこんなに長くプレーするとは思っていなかったのですが、試合に出続けるようになってから、清水さんのことを意識するようになってきました。清水さんの公式戦出場回数(156試合)は越えたいと思います」

現在、平島選手は144試合。今シーズン中にも達成できそうですが。

「そこはあまり意識せず(笑)。1年1年、頑張ります!」

カンビーとダルマゾの指導で成長できた。

平島選手というと、どの選手に聞いても、スクラムの強さ、知識の豊富さがずば抜けていると言います。沢居選手は、初めて平島選手をトイメンにしてスクラムを組んだ時に、なすすべなくズルズルと押されてしまったと話していました。

「どこが強いのか分かんないですけどね(笑)。ウエイトは山崎(基生)や沢居(寛也)の方が重いのを挙げられますし。体が大きい方が確かに有利ですけれど、スクラムはそれだけではないので」

そこは経験値ですか?

「経験値というのはありますね。長い間、トップリーグで試合に出たり、代表で海外のチームと対戦したりして、引き出しは多いと思います。若い時は単純に力で勝負していましたが、そうじゃなくなってきた」

平島選手がスクラムを組む時に一番重視していることを教えてください。

「個人的に重視しているのは、ヒットするまでのスピードです。そこでスピードが乗れば、2列目、3列目の重さもうまく乗せることができる。フロントローが相手より先に真ん中を取りに行く。そこの勝負です」

そういう考えになったのはいつからですか?

「コベルコスティーラーズに入ってからです。マツさん(松原裕司選手/2002年度〜2014年度)が常にそう言っていて、先に真ん中を取れた時は、優位に組めた。マツさんはナンバー8からフッカーに転向して、それほど体が大きいかと言われたら、そうではない。だから、ヒットスピードで勝負してきたと思うんです。いかに早くヒットするか。スクラムのコールが、『クラウチ、タッチ、ポーズ、エンゲージ』の4段階から『クラウチ、バインド、セット』と3段階になって、バインド(プロップ同士が互いのジャージを掴み合う)しなくてはいけなくなったけど、相手に当たるまでの距離が短くなっただけで、ヒット(セット)はありますから。よりコンパクトになった中で、いいところに入れるか、いい姿勢を取れるか。そのためにはどうすればいいのか。カンビー(スティーブ・カンバランド元コーチ/2008年度〜2013年度)やダルマゾ(マルク・ダルマゾ元日本代表スクラムコーチ)が、足の位置や体の使い方など、いろいろと教えてくれて、少しずつ成長できていったのかなと思います」

カンバランド元コーチとダルマゾ元日本代表スクラムコーチから大きな影響を受けた。

「そうですね。カンビーから指導を受けるようになったことで、僕個人だけでなく、神戸のスクラム自体が向上しました。ダルマゾはカンビーよりさらに細かいところにこだわっていて。ダルマゾから指導を受けていたのが、スクラムのコールが『クラウチ、タッチ、セット』から『クラウチ、バインド、セット』に変わった直後だったんですけれど、彼からバインドの仕方をきっちりと教えてもらったことも良かったですね」

スクラムは面白い!

山崎選手が、平島選手にいろいろと教えてもらっていると言っていましたよ。そういう経験したことを若手に伝授していると。

「ちょこちょこ(笑)教えていますね。こういう組み方をする3番だから1番はこうしようとか、フッカーの足がこうだから、こうした方がいいとか。そういうことを言っているだけですけどね」

フロントローにしか分からない世界ですよね。

「学生時代は相手のことなど考えていなかったですよ。カンビーが来てから、フロントローだけでミーティングをするようになって、映像を見ながら、こう組もう、ああ組もうと話をして、考えるようになって、それが自然と身に付いてきました。スクラムは面白いです。僕はラグビーというよりも、スクラム自体が好きですね」

平島選手が経験した中で一番スクラムが強かったチームというのは?

「2011年のワールドカップニュージーランド大会で対戦した時のフランス代表ですかね。強いというか、うまかった。最初にスクラムを組んだ時に、こうしてきたから、今度はこうしようと話をしていたら、次は違う組み方をしてきて。スクラムを組む度に、力の入れる位置を変えてきたりするので、組みにくい相手でした」

トップリーグではどこが強かったですか?

「数年前の東芝ですね。代表で一緒だった湯原(祐希)とバズ(浅原拓真)が抜群に強い。フッカーの湯原はテクニックがありますし、スクラムのことをよく分かっているので、対応力がある。バズは我慢して真っ直ぐに押せる。単純に強いと思います」

今シーズン、コベルコスティーラーズには、渡邉隆之選手と塚原巧巳選手という2人のフロントローが入部しました。彼らの印象は?

「まだ全体練習がはじまっていないので、塚原には会ったことがないんです。渡邉は、代表の合宿に練習生として参加していたので、知っています。その時もいい選手だなと思いましたが、今年の大学選手権をテレビで見て、さらにスクラムが強くなったと感じました」

今後の目標はトップリーグ優勝

ラグビーワールドカップイングランド大会を1ヶ月後に控えた2015年8月15日の日本代表 vs 世界選抜戦で平島選手が負傷し、戦線離脱した後、渡邉選手が追加招集されたんですよね。あまり思い出したくないことかもしれないですが、あの時はどういう心境だったのでしょうか?

「確かに悔しかったのですが、怪我したことは仕方ないなって。ただ僕よりも周りがショックを受けていて。家族もイギリスに行く予定だったので、相当がっかりしていました。僕自身は、ワールドカップに行けないことよりも、リハビリをして、体を元の状態に戻していくことが大変なので、そのことに対して凹みました」

復帰するまで随分とかかりましたよね。

「4、5ヶ月かかりました。大胸筋を断裂したので、オペをして、1ヶ月ほどは腕を吊っていて。長かったですね」

歴史的勝利となった南アフリカ戦は見ていたのでしょうか?

「とはいえ、やっぱりどこか悔しさはあったので、試合は見ていなかったです。朝起きて、『勝ったよ』と嫁に起こされて、代表のみんなにメッセージを送りましたけど」

熊本市はラグビーワールドカップ日本大会の開催地ですし、日本代表復帰を目指すという気持ちは?

「チャンスがあればとは思いますが、そこを目指して頑張ろうという気持ちにはなれないですね。それよりもチームで優勝したい。代表に行かなくなって、チームのみんなと一緒にいる時間が長くなって、よりその気持ちが強くなりました」

そのためにも、今シーズンもスクラムを押しまくってください。

「自分の強みはスクラムなので、しっかり仕事をしたい。またチームとしてもスクラムをもっと強くしないといけないと思いますので、誰が出ても安定したスクラムが組めるように貢献したいと思います」

今シーズンも期待していますね!

「春から自分のペースで準備できていますし、コンディションもいいので、頑張ります!」

loading