チーム
「阪神淡路大震災1.17のつどい」に選手、スタッフがボランティアとして参加しました
これまではチームは阪神・淡路大震災が発生した1月17日に毎年クラブハウスで追悼の祈りを捧げてきましたが、震災から30年という節目を迎えるにあたり、今一度神戸のために協力したいという思いから、1月16日、17日に行われる「阪神淡路大震災1.17のつどい」に選手、スタッフ全員がボランティアとして参加しました。
「阪神淡路大震災1.17のつどい」は、阪神・淡路大震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため行われています。今年は「1.17」の文字とともに、人と人を思う気持ちや寄り添う気持ちを大切にという思いから「よりそう」という言葉を紙灯籠で並べ、地震発生時刻の5時46分に黙祷を捧げました。
選手、スタッフは3つのグループに分かれて、16日の午後、17日の早朝と午後にそれぞれ参加。「1.17のつどい」を通して、神戸への思い、震災を風化させてはいけないという思いをより一層強くした様子でした。
共同キャプテン ブロディ・レタリック選手
「阪神・淡路大震災が発生したシーズン、チームの副将を務めた弘津(英司)チームディレクターから当時の街の様子などを教えてもらう機会があり、あらためて震災が街や会社、チームに与えたダメージの大きさを知ることができました。その上で選手、スタッフ全員が『1.17のつどい』に参加させていただいたことは大きな意味があります。チームとして地域を代表して戦うことを再確認しました。震災から30年という特別なシーズンを神戸の代表として戦い、その思いをフィールド上でパフォーマンスとして出していけるようにします」
共同キャプテン 李 承信選手
「個人的には2度目の『1.17のつどい』への参加になりました。昨年、レンズ(デイブ・レニーディレクターオブラグビー/ヘッドコーチ)が就任1年目にもかかわらず『1.17のつどい』に参加したことを聞いて、神戸出身で、地元のチームでラグビーしている自分が行ったことがないというのはどうかと思い、17日の午後に参加しました。今年は17日の早朝に参加させていただいたので、地震発生時刻の5時46分の時報音を聞いた時には胸に迫るものがあって…。被災された方々が助け合い、復興に向かって苦しいところから立ち上がってくれたお陰で、今の神戸の街があるんだと思い、あらためて感謝の気持ちが強くなりました。チームは、誰を代表して、誰のために戦うのかを意識しています。神戸のために。僕自身も自分が生まれ育った神戸の街が大好きなので、その思いを持ってこれからも戦っていきます」
山下 裕史選手
「震災のことをあらためて考える時間になりました。当時、神戸製鋼所は阪神・淡路大震災により甚大な被害を受けて、陸上部や野球部といったクラブが次々と休部や廃部になりました。そんな中でもラグビー部は活動を継続することができ、会社への感謝の思いとともにいろんな人の思いを背負ってラグビーをしないといけないと感じました。地域の方々、会社、そして応援してくれるすべてのスティールメイツに感謝して、神戸の代表としてより一層頑張ろうと気持ちを新たにしました」
前田 剛選手
「震災の翌年に生まれたのですが、宝塚市出身だったので被害が大きかったこともあり両親から当時のことを聞いていましたし、学校でも震災のことを学んできました。チームに入団してからも震災について学ぶ機会が多くあります。今回『1.17のつどい』に参加し、僕を含めて震災を経験していない選手が増えていく中で、たくさんの方々の思いを肌で感じ、震災を風化させないことが大切だと思いました。まずはチームとして30年という節目のシーズンに、ラグビーを通じて神戸を盛り上げていけるようにしたいと思います」
日和佐 篤選手
「当時神戸市北区に住んでいて、小学1年生の時に震災を経験しました。すごく揺れたことは覚えているのですが、幸い住んでいたところは被害が大きくなくて。ただ、友人が六甲アイランドに住んでおり、液状化で大変だったことを記憶しています。震災当時の記憶はそれほどありませんが、子供たちには大きな地震が起きたら、どういう行動をとればいいのか話しています。震災から学んだことを伝えることも使命だと思います。今日は、はじめて『1.17のつどい』に参加し、いろいろな方々の思いに触れることができました。僕が小学1年生の時、オリックスや神戸製鋼ラグビー部のプレーが、心の支えになっていました。スポーツには力があると思います。神戸で活動するチームとして、これからも地域の方々に何かを伝えられるようなプレーをしていきたいです」
船曳 涼太選手
「神戸市垂水区出身で、小学校、中学校でも1月17日には朝礼で黙祷をしてきました。阪神・淡路大震災は経験していないですが、この日が神戸にとって大切な日であることは理解していますし、両親からも火災に見舞われた長田区から火の粉が飛んできて大変だったと聞いています。今回『1.17のつどい』に参加し、神戸の街にとって、これまで以上にこの日が大切な日であることを改めて認識しました。これからも震災のことを忘れずに伝えていけるようにしていきたいと思います」
山中 亮平選手
「阪神・淡路大震災が発生した当時は6歳で、大阪に住んでいたのですが、めちゃくちゃ揺れたことを今でも鮮明に覚えています。ただ、神戸スティーラーズに入団してから震災で神戸の街も神戸製鋼所もチームも大きな被害を受けたことを知りました。今年初めて『1.17のつどい』に参加させていただき、あらためて震災を乗り越えてきたチームの一員として、震災のことを風化させずに伝えていかないといけないと思いました。今シーズンは震災から30年という節目のシーズンです。これまで以上にモチベーション高く、神戸のため、地域の方々のため、会社のために戦っていきたいと思います」
これから40年、50年と、どれだけ月日が流れても、コベルコ神戸スティーラーズは、阪神・淡路大震災で被災したチームとして、また神戸で活動するチームとしてこの街で起きた震災のことを忘れずに、次世代へと語り継ぎ、繋いでまいります。