取材日:2026年2月3日
2025-26アーリーエントリーインタビュー Part.3 NO8シオネ・ポルテレ選手
中学時代には陸上部に所属し、短距離で国内優勝したこともあるスピードに、フィジカルが自慢の突貫小僧、「ポウティ」。高校から日本でプレーし、京都産業大学へ。大学では1年の時にウイングで試合に出場し、2年からはバックロー。1年から大学選手権の舞台に立ち、大学日本一を目指しましたが、4年連続で準決勝敗退に終わり、悔し涙を見せていました。これから活躍の場をリーグワンに移し、ポジション獲得、そして優勝を目指します。高校時代はプロップの経験もあり、フォワード、バックス問わずプレーできるポウティが描く、プロラグビー選手としての未来予想図を語ってもらいました。
「エグい(笑)先輩たちからいろいろ学んで成長し、
バックローで日本代表入りを目指します!」

NO8
シオネ・ポルテレ
SIONE POLUTELE
PROFILE
- 生年月日/2003年5月24日(22歳)
- 出身地/トンガ
- ラグビー歴/トンガカレッジ→目黒学院高校→京都産業大学
- ポジション/NO8
- 身長・体重/184cm・112kg
- 代表歴/高校日本代表候補
アーディから多くを学びたい
まず大学選手権の話を伺いたいのですが、大学選手権は4年連続で準決勝敗退という結果に終わりました。明治大学との激闘が終わった後、涙を流す姿が印象的でした。
「めちゃくちゃ悔しかったです。大学選手権で戦うにあたり、優勝以外は意味がないと思っていましたから。それにこれで大学ラグビーが終わると思ったら寂しくて涙が止まりませんでした」
富田 陸選手と抱き合っていましたね。
「ガンダム(富田 陸)が僕のところに来てくれて、『ポウティは強かったよ。けど、俺たちも日本一を取りたい。神戸Sでこれから一緒に頑張ろう』と声をかけてくれました。僕は彼に『早稲田を倒して、日本一になれ』と言ったんです。その後、明治大学のキャプテンの平(翔太/三菱重工相模原ダイナボアーズ)が『僕らに何が足りないと思う?』と聞いてきたので、『ディフェンスを修正したら勝てるよ』と。決勝戦はテレビで見ていましたが、明治が早稲田にやりたいことさせず、アタックもディフェンスも素晴らしかった。それにガンダムも『3番』で出場し、僕らの思いを背負って戦ってくれたと思います」
これからは神戸Sの一員としてリーグワンを戦うことになります。大学選手権の時と比べて、体が引き締まったように思うのですが。
「116kgほどあったのを、チームから言われて5kgほど絞りました。ご飯が好きなのでかなりキツかったのですが、食事制限したり、バイクを漕いだり走ったりして、体重を落としました」
ポルテレ選手が神戸Sに入団を決めた理由を教えてください。
「神戸Sには日本代表の選手が多いですし、外国人選手も能力が高いです。才能ある選手から多くのことを学んで成長したいと思ったことが入団を決めた一番の理由です。それにチームにはアーディ(・サベア)がプレーしています。世界NO.1のバックローからいろんなことを吸収したいと思ったことも大きな理由です」
ボールを持って相手をぶっ飛ばすのが醍醐味
ポルテレ選手はリーグワンではバックローでプレーしたいと。
「ウイングやプロップでもプレーしてきましたが、一番好きなポジションはナンバーエイトです。ラグビーをしていて一番楽しいと思う瞬間がボールを持ってディフェンスをぶっ飛ばす時です。そういう機会が多いのがナンバーエイトですし、フィジカルにも自信があります。バックローで試合出場を勝ち取りたいです」
サベア選手からは学ぶことができていますか。
「チームに合流してから毎日のようにアーディに質問しに行っています。アーディはブレイクダウンでスティールするのが上手いのでコツを教えてもらったり、タックル練習を一緒にしたりして、毎日何かしら学ぶことができています。これからも多くのことを学びたいと思います」
ところで、これまでの競技歴について伺いたいのですが、ラグビーはいつからはじめたんですか。
「ラグビーはみんながやっていたこともあり、8歳くらいからはじめました。けど、力を入れていたのは陸上競技で、100m、200m、リレーといった短距離走の選手だったんです。中学生の時にはトンガ国内の大会で優勝したこともあります。当時はジャマイカのウサイン・ボルト選手に憧れていて、ラグビーはそこまで興味がなかったんです」
短距離走の選手だったポルテレ選手が高校から日本でラグビー留学をすることになったのは。
「通っていたトンガカレッジ=ラグビーなので、ラグビーの試合に出ることもありました。スピードには自信があったので、エッジに立ってパスを受けたら、そのままトライラインまで一気に走り切る感じだったんです。すると、目黒学院高校が足の速い選手を探しているから日本でプレーしないかと言われて。目黒学院には先に1歳年上のソロ(ソロモネ・フナキ)が留学していました。ソロとは家族ぐるみで仲が良くて、ソロから『一緒に頑張ろう』と言われたこともあり、日本でラグビーをすることにしました」
ソロがいたから成長できた
フナキ選手の存在が大きかったんですね。
「ソロにはめちゃくちゃ感謝しています。目黒学院高校に入学した当時、体重が75kgしかなくて。1度試合に出た時に日本人のSHにタックルを受けて、ひっくり返されてしまったことがあったんです。その後、ソロからめちゃくちゃ怒られて、とにかく食べて体を大きくするように言われて。毎晩ソロが11時に起こしてくれて、食堂でラーメンやご飯など夜食を食べるようにしました。そんな生活を送っていたら、日本に来て1ヶ月ほどで100kgになって。タックルもソロに付き合ってもらって毎日のように練習し、1年からソロと一緒に公式戦に出られるようになりました。高校3年の時には高校日本代表候補にも選ばれて、ソロがいたから成長できました。ソロには感謝してもしきれないです」
言葉の面ではどうだったのでしょうか。
「最初は苦労しました。来日してすぐの頃は監督やコーチと話す時、ソロが間に入ってくれていましたが、チームメイトと喋る時は口の動きを見て日本語を覚えるように言われて。そうしたら、絶対に喋れるようになるからとソロに言われて、日本語の勉強も頑張りました。僕は7人兄弟の一番上なんですけど、ソロは兄のような存在です」
京都産業大学に進んだのもフナキ選手の影響なのでしょうか。
「ソロがいたこともありますし、父から『成長するためには日本で一番厳しい練習をするところに行きなさい』と言われていました。父はトンガのクラブチームでプレーしていたこともあり、的確なアドバイスをくれるんです。京都産業大学は練習が厳しいことで有名なので、ここなら成長できると思ったのも理由としてありました」
高校時代はプロップやフランカーでプレーしていましたが、大学1年の時はウイングでしたね。
「高校に入って、いきなりプロップをするように言われて。トンガではバックスでしかプレーしたことがないので驚きました。ただ、高校ではスクラムの際にヒットした時だけ耐えればボールをキープできるので、そこまで大変ではなかったです。大学1年の時はセンターに家村(健太)さん(静岡ブルーレヴズ)がいて、良いボールがたくさん回ってきて、ただ走れば良かった。2年からナンバーエイトをするようになりましたが、めちゃくちゃ楽しくて。ボールを持つ機会がたくさんあるし、突破もできるし、『これだ!』と思いました。僕はグラウンドに入ったら体がどうなってもいいと思うくらい体を張ります。それができるのは、バックローしかないと思います」
京都産業大学でどういうところが成長できたと思いますか。
「元木(由記雄)GMに『僕のパフォーマンスはどうですか?』と聞いたことがあったんですけど、『突破役としてもっと強くなれるから頑張りなさい』と言われて、それでトレーニングをたくさんしました。4年の時には体重を落として、より速く動けるようにもして。4年間でフィジカルが強くなりましたし、体重を落としたことでワークレートも上がりました」
来日した時から目標は日本代表
今後の目標は。
「日本に来た時から日本代表になることが目標でした。バックローで日本代表に選ばれたい。けど、その前に神戸Sでポジションを獲得しないといけません」
神戸Sのバックローには、お兄さん的存在のフナキ選手がいます。ライバルになりますね。
「リスペクトの気持ちを持って競争し、一緒に成長していきたいです!」
試合に出るために伸ばしたいところは。
「フィジカルは絶対に負けたくないと思っているんで、さらに強くしたいですし、ボールキャリーも大学の時よりも激しくいきたい。それに、ディフェンスももっと成長させたい。 アーディから教えてもらっているブレイクダウンでのスティールのスキルも自分のモノにできるよう頑張ります!」
神戸Sで達成したいことは。
「優勝です!あと、両親を日本に招待して僕がプレーしているところを見せたいと思っています。それが決勝戦だったら最高ですね」
最後にスティールメイツへメッセージをお願いします。
「まずはアーリーエントリーとして試合に出られるように頑張ります!スティールメイツの皆様、試合に出たらボールキャリーに注目してください。これから応援よろしくお願いします」

