取材日:2025年6月6日
2024-25シーズン退団選手インタビュー Part.12 山中 亮平
2024-25シーズン退団選手インタビューのラストを飾るのは、「山ちゃん」こと、山中 亮平選手です。2011年4月早稲田大学から神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)に入団も、日本代表合宿中のドーピング検査で陽性となり、2年間、故・平尾 誠二GMの計らいでチームの母体である神戸製鋼所にて社業に専念、2013-2014シーズン、チームに再入団しました。山中選手は「あの2年間があったから、よりラグビーが好きになりました。そして何より今の僕があるのは会社や平尾さんのお陰ですし、感謝しかありません」と振り返ります。12シーズンには7人のヘッドコーチから指導を受けて、ポジションも本職のスタンドオフからセンター、フルバックへと変化。2019年、2023年には日本代表の一員としてラグビーワールドカップに出場し、「NTTリーグワン2023-24」第2節静岡ブルーレヴズ戦では目標の1つだったリーグ戦通算100試合出場を達成しました。「チームのことが大好きです」という山中選手は、コベルコ神戸スティーラーズでラグビーキャリアを終えることも考えたそうですが、モットーである『自分らしく』あるために熱くなれる何かにもう一度チャレンジしたいと退団を決意。ラグビー人生第3章は、神戸Sから浦安D-Rocks(7月14日発表)へと舞台を移すことになりましたが、山中選手は「感謝の思いは変わりませんし、これからも頑張っている姿をみんなに見せたいと思います」と誓っていました。
山中 亮平
RYOHEI YAMANAKA
PROFILE
- 生年月日/1988年6月22日
- 出身/大阪府大阪市
- 経歴/大阪市立真住中学→東海大学付属仰星高校→早稲田大学→コベルコ神戸スティーラーズ(2013-2014シーズン入団)
- ポジション/フルバック
- 2024−25シーズンまでの公式戦出場回数/132
- 代表歴/日本代表(30キャップ)
「ラグビーを続けられているのは、会社と平尾さんのお陰。それはこれからも変わらないですし、感謝しています」
燃えるような何かにもう一度チャレンジしたい
12シーズン在籍したチームを退団する今の心境をお聞かせください。
「神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)、コベルコ神戸スティラーズに12年間在籍し、2年間は神戸製鋼所で社員として働かせていただき、合計14年間を神戸で過ごしました。今、ラグビーを続けられているのは、チームの母体である神戸製鋼所と平尾(誠二)さんのお陰です。またラグビーをする上で日本代表になりたい、ワールドカップに出たいという思いがあったのですが、ワールドカップに出場できて目標を叶えることができたのはチームのお陰です。本当に感謝の思いしかありません」
「自分が熱くなれるような何かにチャレンジしたい」と退団発表後の取材で話されていましたが、改めてチームを去ることに決めた理由を教えていただけますか。
「年齢的にも残り少ないラグビー人生ですし、大好きな神戸Sでキャリアを終えた方がいいのかと悩んだのですが、今シーズンは試合出場数が減り、自分の中では『まだできる』という気持ちもありましたし、フィットネスも自己ベストを更新するなど、コンディションもいい。そんな中で『自分らしく』あるにはどうすればいいのか考えた時に、これから現役を続けられても数年だからこそ、熱くなれるような、燃えるような何かにもう一度チャレンジしたいと思いました。もちろん、移籍したからといって試合に出られるという確約はないです。けど、人生は一度きりですし、新しいチャレンジに向かう方が自分らしい選択だなと思って決断しました。チームを去ることに寂しさはありますが、自分が下した決断ですので、今はすっきりしています」
新しいチャレンジに向けて、どんなお気持ちですか。
「これまでとは違う環境になるので、すべてが新鮮だと思います。ワクワクする気持ちはありますが、ベテランですし、しっかり覚悟と責任を持って頑張りたいですね」
恩返ししたいという思いが原動力
山中選手がラグビーをする上で原動力になっているものとはいったい何なのでしょうか。
「育ててくれた方々、応援していただいているスティールメイツ、そして2年間ラグビーができなかった時に支えてくれた会社の方々、地元の友達…。全員に恩返しがしたいと思ってプレーしています。平尾さん、会社の方々がもう一度ラグビーをできる環境を作ってくださって、当時の上司も応援してくれています。『あいつ、あかんやん』と思われたくないので、絶対に頑張らないといけないと、常にそう思ってきてやってきましたし、ラグビーを続ける限りはその思いは変わりません」
当時の上司も応援してくださっているんですね。
「退団発表があった時にはLINEにメッセージをいただきました。上司にはお世話になって、1から仕事を教えていただいたりして。ラグビーができなかった2年間は僕にとって本当に大きかったですし、人間的に成長させていただきました。それまでは大学3年で日本代表に選ばれたり、高校でも大学でも日本一になったりと、ずっとトップを走ってきたという自負がありますが、ドーピングの件でラグビーを奪われて、精神的にもドーンと落ちて。けど、神戸Sで試合に出られない時期やワールドカップメンバーから外れても、あの2年間があったから乗り越えられました。ラグビーができないという状況より下はないですから。もし大学生の時のまま選手を続けていたら、挫折があった時に、そのまま終わっていたかもしれません。2年間ラグビーができなくなったことで、僕にはラグビーしかないと痛感し、よりラグビーを好きになり、ラグビーができていることに幸せを感じるようになりました。チームは変わりますが、これからもラグビーを通じて頑張っている姿をみんなに見せたいと思います」
著書『それでも諦めない』というタイトル通り、これからも諦めないで頑張ると。
「『もうええやろう』と言われるくらい、粘りに粘って頑張ろうと思いますね!もちろん、いつか諦めないといけない時期が来ます。けど、それは今ではないです」
平尾さんともっと深い話をしたかった…
神戸Sではもうやり残したことなどはないのでしょうか。
「チームに対し貢献できたと思いますし、個人的に目標として掲げていた100試合出場も達成することができました。平尾さんが元気な時に優勝できていれば良かったなという思いはありますが、神戸Sでやり切りました。ただ、神戸Sで出場した最後の試合が、28-73で大敗した東芝ブレイブルーパス東京戦なんです。ボロ負けして、神戸Sでのキャリアが終わりというのは悔しいなって。けど、それも自分らしいと思いますね(苦笑)」
2017-2018シーズンにはバイスキャプテンとしてチームを牽引しました。
「前ちゃん(前川 鐘平)がキャプテンで、僕とザキ(山﨑 基生)がバイスキャプテンでした。トップリーグ(当時)のチームでバイスキャプテンをさせていただいたことも良い経験になりました」
神戸Sで過ごした12シーズンを振り返っていただきたいのですが、もともと山中選手がコベルコスティーラーズ(当時)に入団を決めた理由とは。
「コベルコスティーラーズか、早稲田出身の選手が多いヤマハ発動機ジュビロ(当時)かで迷っていました。そんな時に平尾さんに会う機会があり、圧倒的なオーラに惹かれて。この人のいるチームでラグビーをしたいと思ったことが一番の理由です。そうしたら、(木津)武士 、前ちゃんと高校時代の同期がいたという感じですね」
平尾GMに惹かれたと。山中選手にとって平尾GMの存在とは。
「『こんな人になりたい』と思うような存在でした。社業をしていた時に食事に連れていってもらうことが度々あったのですが、当時は僕自身がまだ若かったのであまり深い話ができなくて。30代前半で現役を引退され、史上最年少で日本代表の監督に就任されるなど、いろいろな経験をされている平尾さんと人生についてもっと語り合いたかったです」
いろんな意味で印象深い年になった2018-2019シーズン
さまざまな指導者のもとでプレーされましたが、そんな中で一番印象に残るシーズンというのはいつなのでしょうか。
「苑田(右二)さん、ギャリー(・ゴールド)、アリスター(・クッツェー)、ジム(・マッケイ)、デーブ(・ディロン)、ニック(ニコラス・ホルテン)、レンズ(デイブ・レニーディレクターオブラグビー/ヘッドコーチ)と7人のヘッドコーチから指導を受けました。一番印象に残っているのは、神戸Sで初めて優勝したウェイン(・スミスラグビーコーチメンター/チームアンバサダー)が総監督で、デーブがヘッドコーチを務めた2018-2019シーズンです。チームががらりと変わって、自分自身も成長できました。チームが会社のために全員がスティールワーカーとして戦おうと一つになりました。もともと僕は会社のために恩返しがしたいという思いでプレーしていましたが、全員がそういう気持ちを持つようになったと感じられて。みんなが自分たちのラグビーを信じて、試合に出ている選手も出てない選手もひとつになって、チームとして一体感がすごかったです。あのシーズンは忘れられない1年になりました」
2018-2019シーズン、バックスにはニュージーランド代表112キャップのダン・カーター選手、オーストラリア代表121キャップのアダム・アシュリークーパー選手とラグビー界のレジェンドが在籍していましたね。
「DC(ダン・カーター)、クーピー(アダム・アシュリークーパー)と一緒にプレーしたことで、スキルが伸びて、レベルをもう1段階引き上げてもらいました。それに上手い選手とプレーするのは、シンプルに楽しい!DCは一緒に試合に出ていて、本当に安心感がありました。そんな空気を作る選手はまだDC以外に出会ったことがありません。クーピーはディフェンスのレンジが広くて、抜かれることがなかった。2人は選手としてのレベルが別格でしたね。それにチームマンです。DCもクーピーもスティールワーカーとして戦っていて、決勝戦の入場時に神戸製鋼所の作業着を着ようと提案したのはクーピーなんです。そういう姿勢も素晴らしくて、彼らのような特別な選手とプレーできたことは良い経験になりました」
ポジションも2018-2019シーズン、フルバックにコンバートしました。
「そうですね。もともとスタンドオフでプレーしていて、2014-2015シーズンに前ちゃんと一緒にチーフスへ派遣された時に初めてセンターでプレーしました。スタンドオフはコミュニケーションが大切なので、英語が必要ということで生まれて初めてセンターで起用されたのですが、『意外といけるやん』と思って。それからチームでもスタンドオフだけでなく、センターでも出場するようになって、2018-2019シーズン、プレシーズンからフルバックに挑戦して。フルバックはすごくハマりましたね。神戸Sで10番、12番、15番でプレーして、選手としての幅を広げてもらいました」
ラグビーワールドカップ2019日本大会でファンになられたスティールメイツはスタンドオフでプレーする山中選手を見たことがないかもしれないですね。
「さまざまな経験をしてきて今の方がスタンドオフとして良いプレーができるように感じています。スタンドオフで現役生活を終えることができれば最高だなとも思いますね。ラグビーをはじめた時からやってきた10番は一番好きなポジションでもあります」
神戸Sで「選手としての幅を広げてもらった」とのことですが、ほかに成長したと感じられる点は。
「7人のヘッドコーチのもとでラグビーをしてきたので、その時の指導者が求めるものに対応する能力が身に付いたと思います。ギャリーの時はキックとキックチェイス。ウェインは個々の判断に委ねたラグビーと、いろんなヘッドコーチのもとで、いろんなラグビースタイルを経験できたことも良かったです。そんな中で試合に出続けられたことは自信になります」
次のステージでも『自分らしく』を貫く
先ほどカーター選手やアシュリークーパー選手と一緒にプレーし、レベルを引き上げてもらったと言われていましたが、日本人選手でプレーや姿勢などで影響を受けた選手はいるのでしょうか。
「たくさんいますね。その中で一番は、すでに引退されていますが、(谷口)到さんですね。日本代表で一緒になった時から可愛がってもらっていました。ポジションはフォワードとバックスで違いますが、とにかくカッコイイ先輩で、チームを退団された後もずっと連絡を取っています。『ザ・漢』という感じで憧れています。もう1人は、ヤンブーさん(山下 裕史)です。早朝からクラブハウスに来て、就業後にもトレーニングして、あれほどストイックに取り組んでいる選手はいない。本当にすごい人だなと思いますし、ラグビー選手として尊敬しています」
すごいという点で、林 真太郎選手がとんでもない選手として山中選手の名前をあげていて、これまで会った中でパスが一番うまいと言われていました。
「めちゃくちゃ嬉しいですね。(林)真太郎とはパスのタイミングなどフィーリングだけでプレーすることができる。そういう意味では(山下)楽平もそう。楽平とは一緒に出た試合数が誰よりも多いですからね」
山下(楽)選手は山中選手の背中を追いかけ続けたと話されていましたよ。
「楽平は僕の髪型をよく真似するんですよ。僕がパーマをあてたら、楽平もしれーっとパーマをあててきて(笑)」
(笑)。山中選手の『第3章』での活躍を楽しみにしています。
「チームもチームメイトも大好きだったので、寂しいですが、チームメイトのことはこれからも応援しています。僕は次のステージでも自分らしく、そして、楽しくラグビーができるように頑張ります」
山中選手にとって神戸Sとは。
「いろんな経験をさせてもらって、成長させてもらった場所です。神戸Sで楽しくラグビーができました!」
では最後にスティールメイツにメッセージをお願いします。
「ビジターゲームでも『GO!GO!KOBE!』コールが聞こえてきて、その声に背中を押されました。優勝した時も、成績が良くない時も、常に応援していただいて感謝しています。個人的にはSNSにもメッセージをいただくことも多くて、スティールメイツに支えられていると感じていました。12シーズン、本当に応援ありがとうございました。神戸Sは今シーズンで退団しますが、これからもラグビーは続けますので、引き続き応援していただければありがたいですし、また会場であった時にはぜひ声をかけてください!」