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KOBELCO

close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

2024-25シーズン退団選手インタビュー Part.11 山下 楽平

 取材日:2025年6月6日

2024-25シーズン退団選手インタビュー Part.11 山下 楽平

京都産業大学から神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)へ。子どもの頃から憧れていたという赤いジャージを着て出場した公式戦の数116。これからもコベルコ神戸スティーラーズでその記録を伸ばし続けてくれるものと思っていましたが、「人生一度きり。違うチームでプレーすることで新しい自分に出会えるかもしれない」と今シーズンをもって退団を決意。入団1年目に新人賞、最多トライゲッター、ベストフィフティーンと三冠を達成したフィニッシャーは、怪我に悩まされたこともありましたが、ボールを持てばワクワクするようなプレーでスティールメイツを魅了してくれました。今シーズンは大学時代にプレーしていたフルバックでの起用もあり、最後尾からバックスをオーガナイスし、これまでとは違う山下(楽)選手の姿を披露。スピード、スキル、卓越したトライへの嗅覚はもちろん、ラグビー理解度の高さを併せ持ち、プレーだけでなく、理路整然と考えを述べる姿にも幾度となく感心させられたものでした。さらに、ヘアスタイルや髪の色とさまざまな面で、名前の通り『楽』しませてくれた山下(楽)選手。今後は三重ホンダヒートでプレーすることが発表され(7月7日)、相手チームとして対戦することになります。スティールメイツに愛された彼の、神戸Sでのラストインタビューをお届けします。

山下 楽平

RAKUHEI YAMASHITA

PROFILE
  • 生年月日/1992年1月30日
  • 出身/京都府宇治市
  • 経歴/枚方ラグビースクール→啓光学園中学→常翔啓光学園高校→京都産業大学→コベルコ神戸スティーラーズ(2014-2015シーズン入団)
  • ポジション/ウィング
  • 2024−25シーズンまでの公式戦出場回数/116

「やれることはやり切ったという思いが強いです。
11シーズン、『楽しむ』ことができました」

この決断を後悔しないためにも、新天地で全力を尽くす

11シーズン在籍したチームを退団する心境と退団の理由を教えていただけますか。

「やっぱり寂しいですね。けど、まだ神戸で生活していますし、クラブハウスにも来ているので(取材は6月6日)、まったく現実味がなくて。理由については、チームが大好きですし、神戸Sに残る選択肢もある中で、神戸Sでキャリアを終えたいという気持ちもありましたが、悩んだ末に、体がまだまだ動く今、新たなチャレンジをしようと退団を決断しました。人生は一度きりです。移籍することで新しい自分に会えるかもしれません。この決断に対して後悔しないためにも、新天地で自分の持っているものを出し切ろうと思います」

神戸Sでやり残したことはないのでしょうか。

「やれることはやり切ったという思いが強いです。怪我をして試合に出られない時もありましたが、自分ができることは常に100%やってきたので、やり残したことはないです。ただ強いて1つ挙げるとしたら、チームで100トライをマークしたかったなと。でも、11シーズンで69トライと神戸Sの歴代最多トライをマークしていますし、記録を残すことができて達成感はありますね」

昨シーズンはブロディ・レタリック選手と共同キャプテンを務め、ご自身のラグビーキャリアで初のキャプテン経験をされました。

「僕を指名してくれたレンズ(デイブ・レニーディレクターオブラグビー/ヘッドコーチ)の期待に応えたいという思いはありましたが、シーズン中にパフォーマンスが落ちてしまい試合メンバーから外れることもあり、そこは残念でした。そういう意味ではガズラは凄いなと感じましたね。神戸Sという個性の塊のようなチームの中で、常に試合に出て黙々と体を張り続けて。個人的には1シーズンでしたが、神戸Sの共同キャプテンを務めたことは良い経験になりました」

公式戦に116試合に出場されましたが、一番印象に残っている試合というのは。

「デビュー戦が一番印象に残っています。1年目から出られるとは思っていなかった中で、京都で行われたトップリーグ2014-2015第1節リコーブラックラムズ(当時)戦でデビューすることができて。あの試合は一番印象に残っています」

考えてプレーするようになった

「1年目から出られるとは思っていなかった」ということなのですが、改めて入団1年目はどうでしたか。

「大学時代は関東のチームに対して大差で敗れることも多かったので、そういう関東の大学出身の選手でさえトップリーグ(当時)では試合に出られない。できるだけ早く試合に出たいけれど、しっかり力をつけてからだと思っていました。けれど実際、チームに入ってみて、意外と自分の力が通用するんじゃないかと感じるところもあって。もちろん、どの選手もスキルがあって、ラグビー理解度も高いのですが、自分の持っている能力を出せばいけるんじゃないかとは思いました。特に1年目のシーズンは、ギャリー(・ゴールド)がヘッドコーチを務めていて、自分のやるべき仕事を明確にしてくれたことも良かったです。グラウンドに立つ15人が自分で考えてその場その場の判断でプレーするラグビーではなく、当時はシステマティックなラグビーをしていました。大学から入ったばかりで感覚だけでプレーしていたこともあり、目指すラグビーの中でウィングの役割を明確にしてもらったことはありがたかったです」

コベルコスティーラーズ(当時)に入ってから意識するようになったプレーはあるのでしょうか。

「基本的に大学時代はほとんどフルバックでプレーしていたので、ウィングは大学1年の時以来でした。チームがキックを多用する戦術だったので、キックチェイスやボールを持っていない時の動きについて意識するように言われて。大学時代はボールを持っていない時は、ボールを持った時やタックルに入る時に100%出せるように体力を温存する時間だと思っていたので、最初の頃はめちゃくちゃキツかったですね。ボールを持っている時も、そうでない時も100%。特にキックチェイスは常に全力でスプリントして、それをしたことで生まれたトライもたくさんありました。キックチェイスやボールを持っていない時の意識は1年目で身に付きましたし、今でも変わらず怠らないようにしています」

1年目に取り組んだことはほかにもあるのでしょうか。

「キックチェイスやボールを持っていない時の意識に加えて、デビュー戦に試合途中からグラウンドに入ってファーストタッチでラインブレイクをして、その後の試合でもアンディ(アンドリュー・エリス)からのパスでスクラムサイドを抜けることもあり、自分の強みであるボールを持った時のステップワークとスピードをどうしたらいい形で出せるのかを頭を使って考えるようになって、いろいろと工夫するようになりました。先ほど言ったように、大学では感覚だけでプレーしていましたから」

チームに入ってから考えてプレーするようになったと。

「そうです。大学は厳しいトレーニングで体を鍛えて個々のポテンシャルを前面に出したラグビーをしていて、ミーティング自体もほとんどありませんでした。それがコベルコスティーラーズに入ると、毎日1時間、長い時では2時間とミーティングがあって、「なんなんこれ!」と衝撃を受けて。ラグビーってこんなにも考えてプレーしないといけないのかと思いましたし、周りの選手は考えているから、こういうプレーができるんだと合点がいきました。ラグビーを理解することが、試合出場や自分のプレーがよくなるきっかけになると思い、ここに来てからラグビー自体をよく見るようになりましたね」

大きな怪我があったから、今がある

1年目に新人賞、最多トライゲッター、ベストフィフティーンと三冠を獲得しましたが、2年目、4年目は怪我があり、苦しいシーズンになったと思います。

「まず2年目の怪我は、シーズンが終わった後、7人制日本代表に招集されて、ツアー中に膝を負傷しました。その時は手術もリハビリもうまくいったのですが、4年目の時は、3年目のシーズン終盤、クボタスピアーズ(当時)との試合中にFWの選手に足首に乗られて骨折してしまって。しかも手術後に傷口が感染して、グラウンドに戻るまでに1年弱かかりました。そして、ようやく復帰できたと思ったら、その試合でまた足首を骨折して…。1年目はサイズがない割に自分ではフィジカルが強い方だと思っていたので、躊躇なくぶつかりにいっていたんですが、怪我をしてからはコンタクトの瞬間にあの時のことが頭をよぎるようになって。トレーニングでどうにかして1年目の体の状態に持っていこうと取り組んだこともありますが、戻らないんじゃないかと思うようになってきて。怪我をしてからは、ウィングとしてボールを持てば何かをしてくれるというところは目指しつつ、周りを活かすことを考えるなど、いろいろと模索しながらプレーするようになりました」

怪我をしていなければと思うことはあるのでしょうか。

「僕の中で怪我をしたから、こんなにも長い間プレーできているのかなと思っています。1年目の時のような、思い切りの良さを前面に出したプレースタイルを続けていたら、どこかで限界が来ていたと思いますし、遅かれ早かれ怪我をしていたんじゃないかなと。怪我したことで、どういうプレーをすれば一番自分が輝くのか、チームの力になるのか、すごく考えるようになりましたし、だからこそ、ここまでやることができたとポジティブに捉えています。もちろん、1年目のプレースタイルの方がよりインパクトがあったと思いますけど、今の方がチームを勝たせるためのプレーができているんじゃないかなと。模索しながらやっていく中でプレーの質が落ちたり、良くなったりを繰り返してきて、特に今シーズンはすごく一貫性のあるパフォーマンスを出せたと感じています」

以前、お話を伺った時にスタンドオフにも挑戦したいと言われていましたね。

「もともとパスやパスキャッチ、キックとスキルが高い方だと思っていたので、数シーズン前から考えるようになって、レンズに相談し、昨シーズンはプレシーズンマッチでスタンドオフに挑戦させてもらいました。それもあって今シーズンはフルバックで起用される試合がありました。人を活かすことの楽しさが感じられるようになってきて、自分のスキルと20代前半で見せていたようなプレーを融合していくことができれば、さらにステップアップできると思っています」

この11シーズンの間にどんどんプレースタイルが変化していったんですね。

「入団1年目に自分のプレー集を作ってもらったんですが、それをたまたま見る機会があって、違う人がラグビーをしているみたいで面白かったですね。『元気やなぁ』と思いましたもん(笑)。成長しているのかどうかはわからないですけど、確実にプレースタイルは変化していますね」

これからも『楽しく』

山下選手はこれまで数多くの選手と一緒にプレーされてきましたが、凄いと思った選手はいるのでしょうか。

「DC(ダン・カーター)ですね。DCに近い選手はいると思うんですが、DCは別格でしたね。自分以外の14人を完全に駒として動かしていて、本当に凄い選手だなと思いました」

そういう凄い選手とプレーし、影響を受けたのではないでしょうか。

「DCだけではないですね。いろんな選手からたくさんの影響を受けて、それを吸収して、ここまで来たという感じです」

大きな怪我もした中で山下選手がグラウンドに向かうモチベーションは何なのでしょうか。

「試合が好きで、試合に出るために頑張っています。だから、足首を骨折した時もリハビリを頑張ることができました。これからも試合に出るために頑張ります」

11シーズンをひと言で表すと。

「優勝もできましたし、濃い11シーズンだったなと。怪我もありましたし、しんどい時期もありましたけど、基本的にはずっと楽しかったですね」

これからも楽しくやっていくと。

「もちろんです。『楽しく』が一番ですからね」

ちなみに、プレー以外の面で影響を受けた選手はいるのでしょうか。

「プレー以外では、(谷口)到さんと山中(亮平)さんですね。可愛がっていただきましたし、かっこいい2人の背中を追いかけ続けました」

思い描く理想のプレーを目指して

今後の目標は。

「僕は日本代表というところを一切目指していなくて、もう一度神戸Sで優勝したいという思いで頑張ってきました。それはもう叶わないので、今後の大きな目標は、80分間、自分が思い描いているようなプレーをすることです。惜しいところまでいった試合は何度かあるのですが、100点だというのはこれまでなくて。ただ、満足できた時がゴールだろうし、そう思えた時がジャージを脱ぐ時なのかなと思っています。あと、スタンドオフで公式戦に出場してみたいですね。それと、直近の目標は、神戸Sに勝つことですかね(笑)」

お手柔らかにお願いします(笑)。山下選手にとって神戸Sで過ごした11シーズンとはどういう時間になりますか。

「ラグビーをはじめた7歳の時から神戸製鋼(当時)というチームが好きで、憧れていていました。そういうチームに入団することができて、素晴らしいチームメイト、スタッフに出会えて、ラグビーができたことは財産ですし、チームの歴史の一部になれたことは光栄に思います。その思いはこれからも変わらないですね。神戸Sでの経験を活かしてこれからさらに頑張ります!」

チームが変わることで、髪型や髪の色はどうなるのでしょうか。

「今は特に考えていないですね(笑)」

今の髪型は山中選手の髪型を真似しているんじゃないかという噂があるですが…。

「それはないです(キッパリ!)」

赤にしたり、緑にしたり、はたまたドレッドヘアにしたり、スティールメイツも山下選手の髪型を楽しまれたと思います。

「ドレッドヘアは2度としないですし、合う洋服がないので緑に染めることも今後ないですけど、スティールメイツに喜んでいただけたなら良かったですし、嬉しいことですね」

では最後に11シーズン、応援していただいたスティールメイツにメッセージをお願いします。

「1年目からずっと応援していただいて、スティールメイツには感謝しかありません。怪我をしてグラウンドに立てない時期も温かい声をかけていただき、それが僕の頑張る原動力になっていました。皆様のお陰で今の僕があると思っています。本当に11シーズン、ありがとうございました。チームは変わりますが、僕自身は何も変わりませんので、これからも応援していただけると嬉しいです!引き続きよろしくお願いします」

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