取材日:2025年6月3日
2024-25シーズン退団選手インタビュー Part.9 日下 太平
中学時代、父と弟と一緒にRWC2011ニュージーランド大会を観戦しに行き、ニュージーランド代表と偶然同じホテルに。その時、ダン・カーター選手と一緒に写真を撮ってもらったことがあるという日下選手。7年後、憧れの存在とチームメイトになり、「夢のような経験をさせてもらいました」と振り返ります。ニュージーランドで15歳から3年間を過ごし、2018-2019シーズンに神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)に入団。7シーズンの間で公式戦出場は5試合と決して多くはないですが、爽やかな笑顔が印象的な好青年はスティールメイツから愛される存在に。「チームメイト、スティールメイツにはこれまで支えていただき感謝しています」という日下選手が神戸Sでの日々を語ります
日下 太平
TAIHEI KUSAKA
PROFILE
- 生年月日/1999年11月8日
- 出身/神奈川県鎌倉市
- 経歴/鎌倉ラグビースクール→関東学院六浦中学→クライストチャーチボーイズ高校→コベルコ神戸スティーラーズ(2018-2019シーズン入団)
- ポジション/スタンドオフ
- 2024−25シーズンまでの公式戦出場回数/5
「神戸Sは自分のラグビー観を作ってもらった場所です。いろいろ教えてもらって、ここまで育てていただきました」
憧れの存在だったDCと同じチームに入団
まだ25歳。日下選手の退団を寂しがられているスティールメイツも多いと思います。
「僕も寂しいですね。チームも神戸の街も好きなので離れがたい気持ちでいっぱいです」
もともと日下選手はニュージーランドの高校でプレーしていました。それが神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)に入団することになったのはどういう経緯なのでしょうか。
「高校卒業後の進路を悩んでいたのですが、そのタイミングで学校の先生から小野 晃征さん(東京サントリーサンゴリアス ヘッドコーチ)を紹介してもらったんです。晃征さんはクライストチャーチボーイズ高校の卒業生ということもあり、親切にしていただいて、エージェントを紹介してくれました。それがウェイン・スミス(ラグビーコーチメンター/ チームアンバサダー)とDC(ダン・カーター)が所属するエージェントでした。それもあって僕のプレーを見てくださり、声をかけていただきました」
コベルコスティーラーズに入団し、何を感じましたか。
「強度、スピード、スキル、すべての面でレベルが高くて、高校時代にやっていたラグビーとはまったく違いました。高校時代は個人技やフィジカルに重きを置いていたのですが、コベルコスティーラーズでは個人の能力の高さに加えて、チームとしてどう勝っていくのかを考えてラグビーをしていました。システムなど1から勉強し、練習やミーティングについていくのに必死でした」
ダン・カーター選手は、高校の先輩ですよね。カーター選手から学んだことも多いのではないでしょうか
「高校が一緒ということもあってDCからよく話しかけてくれました。子どもの頃から憧れていた選手と同じチームに所属し、ロッカールームが隣になるなんて想像もしなかったです。DCからは本当にいろいろなことを教えてもらいました。一番印象に残っていることは、練習に取り組む姿勢です。DCは一人でグラウンドに残って黙々とキック練習をしていて、ワールドクラスの選手でもこんなに練習するんだと驚きました。もともと僕自身も個人練習に時間を割くタイプでしたが、DCの姿を見て、やっていることは間違っていないんだと思うことができました」
カーター選手の言葉で記憶に残るものがあれば教えていただきたいのですが。
「2018-2019シーズンに優勝した時に、太平が引退する時まで優勝カップを神戸に飾り続けてほしいと言われたんです。ずっと勝ち続けてくれという意味で言ってくれたと思うのですが、チームとしてそれができなかったのは悔しく思いますね」
初スタメンは悔しさが残る試合に…
日下選手はスタンドオフにコンバートしました。カーター選手の影響があるのでしょうか。
「DCは関係ないですね。純粋に試合出場を目指して、スタンドオフにチャレンジすることにしました。スタンドオフはパス、キックといったスキルが必要ですし、僕自身、周りを活かすことが好きなので、プレースタイル的にも合っていると思い、ポジションチェンジしました。数々の素晴らしいスタンドオフがいますが、僕は常にDCのような選手を目指して頑張ってきました。それはこれからも変わりませんね」
7シーズンの中でターニングポイントになったシーズンというのはあるのでしょうか。
「DCだけでなく、日和佐(篤)さん、ヤンブーさん(山下 裕史)、山中(亮平)さんといった子どもの頃からテレビで見ていた選手と一緒にラグビーをしてフワフワしたような感じで、入団してからずっと練習生といった立場でプレーしているような感覚がありました。けど、入団3年目になり、20歳を越えて、そろそろ公式戦に出場しないといけないとマインドが変わってきて。それまでトップリーグカップには出場したことがありましたが、リーグ戦の試合メンバーに入るためにはどうしたらいいのか考えて日々過ごすようになりました」
入団3年目というと、李 承信選手、濱野 隼大選手とった後輩たちが入団しました。彼らの存在というのも刺激になりましたか。
「そうですね。特に(李)承信は年齢が1歳下で、僕自身センターからスタンドオフにコンバートした時だったので、素晴らしいプレーヤーだなと思って、僕ももっと頑張らないといけないと良い影響を受けました」
「NTTリーグワン2022」2試合途中出場し、翌シーズンの「NTTリーグワン2022-23」第10節東芝ブレイブルーパス東京戦で初めて先発出場を掴み取りました。
「メンバー発表後にDCから『今週、頑張ってね』とDMが来たんです。それも嬉しかったですし、僕を選んでくれたコーチ陣の期待に応えようと気持ちが入っていたのですが、自陣ゴール前でのラインアウトディフェンスで相手にぶつかった時に脳震盪を起こして…。しかも、それが危険なタックルとみなされて、イエローカードを提示されてしまいました。結局、試合にも敗れてしまって、初めてスタートから出させてもらったのに結果を出すことができなくて、本当に悔しい試合になりました。結局、その後の2シーズンは出場機会がなく、そのBL東京戦が最後の公式戦出場になりました」
あらゆる面で成長できた7シーズン
昨年7月から3ヶ月間、マナワツ・ターボスへ派遣されました。高校卒業して以来のニュージーランドはどうだったのでしょうか。
「若手がたくさんいる中でマナワツ・ターボスへ派遣していただき、ありがたいなと思いました。ただ、マナワツ・ターボスのラグビーが神戸Sのラグビーとシステムがまったく違っていて、慣れるまでに苦労しました。それもあって向こうではなかなか自分の良さを出せなくて、NPC(ニュージーランド州代表選手権)に出場できなかったのですが、良い経験をさせていただきました。それを今シーズンに活かすことができれば良かったのですが、日本に帰ってから、なぜか自分のプレーに自信を持てなくなってしまって。プレシーズンマッチでも納得のいくプレーができなかったですし、スキルエラーも多くて、一貫性あるパフォーマンスを発揮できませんでした。原因がまったくわからなくて、精神的にきつかったのですが、スタッフの助けや昨年末に子どもが生まれて覚悟が生まれ、どんどん気持ちが上向きになっていき、これまで通り自信を持ってプレーできるようになっていきました。けど、出遅れた感は否めなくて、結局出場機会がないままシーズンが終了しました」
悔しさを感じた今シーズンを含めて、日下選手が一番印象に残っているシーズンというのは。
「入団1年目のシーズンのインパクトがすごかったですね。練習の雰囲気がピリピリしていて、ミスに対して選手同士で厳しく指摘しあって、強度も高かったです。それに、コーチから言われるのではなく、選手発信でチームを作っていく感じがあって、こういうチームが優勝するんだと肌で感じることができて、良い経験をさせてもらいました」
すべてにおいて成長した7シーズンだったと思うのですが。
「本当にそうですね。フィジカル、スピード、フィットネス、ラグビーIQ。それに体重も入団した当時から10キロほど落ちたんじゃないかな。入団当時は100キロ近くあり、S&Cコーチに怒られてトレーニングをして、栄養士の宮﨑(志帆)さんの指導のもとで食生活にも気を配るようになって、ラグビー選手としての体づくりをはじめました。あらゆる面で成長することできた7シーズンになりました」
日下選手にとってコベルコ神戸スティーラーズとは。
「自分のラグビー観を作ってもらった場所ですね。いろいろなことを教えていただき育ててもらって、チームには本当に感謝しています。公式戦に出場し結果を出してチームに恩返しができなかったことは悔しいですが、サラマンダーズ(ノンメンバー)としてチームのために役割を全うし、そして、神戸の街のために行動できたことは自分の中で誇りになっています。ありえないくらい素晴らしい経験をさせてもらったことを今後に活かしていけたらと思います」
チームメイト、スティールメイツに感謝
関東出身ですし日下選手自身まさか関西のチームに入るとは思ってもいなかったのではないでしょうか。
「全然思ってなかったですね。日本代表を除くと、子どもの頃に見ていたのは、サントリーサンゴリアス(当時)、東芝ブレイブルーパス(当時)といったチームの試合でした。平尾誠二さんのことは知っていましたが、チームのことはほとんど知らなくて、どんなチームだろうと。それに、神戸という街も初めてでした。実際にこっちに来て、住みやすくて良い街だなと思いました。海と山、自然に囲まれていて、人が温かい。どこに行っても『応援しているよ』と声をかけていただいて、チームだけでなく、神戸の街も大好きになりましたね」
グラウンド外で思い出深いことがあれば教えてください。
「20歳の誕生日を宮崎合宿で迎えたのですが、その時の同室がDCだったんです。DCに祝ってもらったことは印象深いです。あと、僕のサインを考えてくれたのは、イシ(中島イシレリ)なんです。サインを書いたことがなかったので、どういうのがいいのか悩んでいたら、イシが『これでいいんじゃない』って。以来ずっとそのサインを使っています。それと、寮生活も楽しかったですね。プライベートも充実していて、あっという間の7シーズンでした」
チームメイトにメッセージをお願いします。
「18歳でチームに入り、先輩にはご飯に連れていっていただいたり、練習に付き合っていただいたりしました。同期や後輩にも支えられて頑張ることができたと感謝しています。これからもみんなのことを応援していますし、特に(濱野)隼大はニュージーランドの高校を卒業してからすぐに神戸Sに入団し、僕と同じ経歴なので頑張ってほしいという気持ちが強いですね」
では最後にスティールメイツにメッセージをお願いします。
「公式戦に出ていないのにたくさんの方に声をかけていただいて嬉しかったです。サラマンダーズマッチには大勢のスティールメイツが観戦に来てくださり、励みになっていました。その期待に応えたかったのですが、公式戦で活躍している姿を見せられなくて申し訳なく思います。またグラウンドで会った時には、ぜひ声をかけてください!7シーズン、本当にありがとうございました」