取材日:2025年6月4日
2024-25シーズン退団選手インタビュー Part.2 牛原 寛章
ニックネームは「ウッシー」。NTTドコモレッドハリケーンズ(当時)を経て、2022-23シーズンから豊田自動織機シャトルズ愛知でプレーし、2023-24シーズン、コベルコ神戸スティーラーズへ。バイタリティーに溢れ、自身のSNSで牛ポーズを流行らせたり、ホストゲームの神戸マルシェ(飲食ブース)でホットドッグ専門店を出店したりと抜群の行動力で、グラウンド内外でモットーである「一瞬懸命」を貫きました。今後は現役を引退し、御影界隈で飲食店をオープンさせると意気込みます。誕生日が阪神・淡路大震災が発生した1月17日ということもあり縁を感じて、引退後も神戸を拠点に活動することに決めた牛原選手。これからも神戸でチームや街を盛り上げると誓います。
牛原 寛章
HIROAKI USHIHARA
PROFILE
- 生年月日/1993年1月17日
- 出身/福岡県久留米市
- 経歴/佐賀工業高校→明治大学→NTTドコモレッドハリケーンズ(当時)→豊田自動織機シャトルズ愛知→コベルコ神戸スティーラーズ(2023-24シーズン入団)
- ポジション/フッカー
- 2024−25シーズンまでの公式戦出場回数/3
「グラウンド内外で多くの人と知り合うことができて、次のステップに向けて背中を押してもらいました!」
マイナスのスタートから徐々に信頼を回復
コベルコ神戸スティーラーズで過ごした2シーズンはどのような学びがありましたか。
「フィールド内外で選手が意識高く取り組んでいて、常に優勝を狙うトップチームは違うなと思いました。これまではチーム主導で練習に取り組んできましたが、神戸Sでは選手に任されていることも多くて、主体的に動かなくてはいけない。自分に足りないと思ったところや強化したいと思ったところを自分で計画してトレーニングする。そういう姿勢は2シーズンで身に付いたところです。あと、プレーの面では、選手のハンドリングをはじめスキルの高さに驚きました。セットプレーは自信を持っていたので、周りの選手との差は感じなかったのですが、フィールドプレーのスキルがフロントローの選手でも高い。その部分は習得するのにかなり苦労しましたが、この2シーズンで成長できたところです」
特に印象的だったことは。
「一番印象に残っていることは、チームに合流して2日目にレンズ(デイブ・レニーディレクターオブラグビー/ヘッドコーチ)から雷を落とされたことです。練習初日にブロンコやスキンフォールド(皮下脂肪)などの測定があることは知っていたのですが、設定された数値をクリアできなくて…。翌日、コーチ部屋に呼ばれて、レンズからめちゃくちゃ怒られました」
始動後すぐに怒られて、マイナスからのスタートだったんですね。
「レンズは数値をクリアしていないと『チームに対して愛がないと見なす』と激怒していて、人生で初めて『お前はやる気がない』と言われました(苦笑)。けど、レンズ自身が初めて会う選手に対して測定の数値でやる気を測るのも理解できますし、実際、僕も新シーズンに向けて体づくりの面で準備ができていなかったので、めちゃくちゃ反省しました。レンズから怒られたことをきっかけに食事制限をして肉体改造をし、ブロンコでも自己ベストを更新して。今、振り返ると、人生で一番頑張った時期だったかもしれないです。ただ、徐々にレンズから信頼を得られていると感じられたところで開幕の週に肘の腱を断裂してしまって…。結局、3ヶ月リハビリに費やすことになったんですけど、レンズから『怪我をしてなかったら、試合メンバーに選んでいた』と言ってもらえました。すごく嬉しかったですし、復帰後にメンバー入りができ、最終的に3試合に出場することができました」
今シーズンはなかなか出場機会が得られなかったですが、どのようなシーズンになりましたか。
「フッカーにスコットランド代表のジョージ(・ターナー)が加わり、チーム内での競争が激しくなりました。ジョージのスクラムの組み方、考え方に触れることができたことは新鮮でしたし、フィールドプレーや激しさはさすがインターナショナルレベルだなと刺激を受けて。試合には出られなかったですが、ジョージだけでなく、ほかのフッカーとも切磋琢磨し、また成長を感じることができました」
ラグビー以外の面ではどうでしょうか。チームにはすぐに馴染むことはできたのでしょうか。
「同い年でU20日本代表でも一緒にプレーしたことがあった北出(卓也)、同い年で同じ九州出身の小瀧(尚弘)。二人のお陰で、みんなとすぐに打ち解けることができました。趣味であるキャンプに(髙尾)時流やマツケン(松岡 賢太)らと一緒に行ったり、北出を通じてジュニア(橋本 皓)と仲良くなって毎週のように山登りしたり、(山本)幸輝さんを筆頭にみんなと飲み行ったりと、プライベートでも楽しくて充実した時間を過ごすことができました」
今後は飲食店経営とラグビー普及に力を注ぐ!
牛原選手というと、ホストゲームの神戸マルシェ(飲食ブース)でホットドッグ専門店『ホットブルズ』を出店されていましたね。
「選手プロデュースのキッチンカーを出店したらどうだろうと思ったことがきっかけです。片手で食べられるのがラグビー観戦のお供にぴったりですし、ホットドッグ専門店がいいんじゃないかと考えて、チームの協力もあり、今シーズンのホストゲーム9試合で出店を実現することができました」
『ホットブルズ』ではパートナー企業である八雲建設のグループ会社「やくもファーム」とのコラボメニューもありました。
「昨シーズン終了後に行われたパートナー報告会で八雲建設の代表取締役を務める松本(将志)さんと同じテーブルになり、釣りの話で盛り上がって意気投合し連絡先を交換したんです。それで一緒に何かできないかとなり、『いちごドッグ』を開発しました。神戸Sに入団して、ラグビー以外でも多方面の方々と出会うことができたことも良かったです」
退団後はどうされるのでしょうか。
「移籍することも考えたのですが、レベルの高い選手と切磋琢磨し、伝統ある神戸Sのジャージを着て試合にも出ることができて、やり切ったという感覚があって。それに神戸の街を離れたくないという思いと多くの方々との出会いから次のステップに向けて背中を押されたような気がして、神戸を拠点にホットドッグを食べたり、お酒を飲んだりできる飲食店を出すことにしました。まだどこでやるか、場所は未定なのですが、練習グラウンドの最寄り駅である阪神御影駅界隈でオープンすることができれば、スティールメイツにもプレシーズンマッチやトレーニングマッチを観戦した後に立ち寄っていただけるなと考えています。また、ホストゲームでもスポットでキッチンカーを出店させていただいて、チームを盛り上げていきたいなって。あと、これまでラグビーをやってきて恩返しがしたいという思いもあり、競技人口を増やす普及活動を行いたいと思っています。NTTドコモ(当時)に所属していた時に毎週のように大阪市内の小学校へ行って普及活動をした経験があるので、神戸でもそのような活動をしていきたいと考えています」
神戸のすべてが好きになりました!
神戸の街を拠点に活動されるんですね。
「チームを含めて、神戸のすべてが好きになりました。それに神戸の街=神戸スティーラーズのように感じることが多くて。神戸Sほど、地域の方々とのつながりが強いチームはないんじゃないかと思いました。街を歩いていると、『スティーラーズの選手か』と聞かれることがありますし、『頑張れ!』と声をかけていただくことも多くて、神戸Sは本当に街の人から愛されているチームだなと。それと、実は、僕の誕生日が1月17日で、阪神・淡路大震災が発生した日なんです。生まれたのは福岡県ですが、2歳の時に震災が起きて、それから誕生日になるとテレビで阪神・淡路大震災のことを報道していました。大学卒業後、NTTドコモに入団し、それからS愛知でプレーしていて、まさか神戸Sから声をかけていただくとは思ってもいませんでした。それが縁あって神戸Sに入ることができて、阪神・淡路大震災から30年という節目のシーズンに神戸Sに所属し、『阪神淡路大震災117つどい』にも参加させていただき、不思議な縁を感じました。今後はチームと共に街を盛り上げたり、街の方々と一緒にチームを支えたりしていきたいと思います」
牛原選手の座右の銘は、目の前の一瞬一瞬を頑張るという意味で「一瞬懸命」です。神戸Sでの2シーズン、座右の銘を全うすることができたのでしょうか。
「目の前の一瞬一瞬を頑張って、ラグビーもラグビー以外もチャレンジすることができました。これからも『一瞬懸命』頑張ります!」
チームに期待することをお聞かせください。
「優勝しかないですね。神戸Sが優勝すると街が盛り上がりますから。僕も神戸Sのパートナーになってサポートしたいと思いますので、ぜひ来シーズンは優勝してください!」
パートナーというと、明治大学で同期だったOBの勝木 来幸さんが昨年9月から営業マーケティンググループでパートナー営業を行っていますね。
「来幸とは今シーズン、ホストゲームの試合会場で会う機会も多くて、パートナーの話もいろいろと教えてもらっています。僕がチームにいる間に来幸がラグビーセンターに異動することになったのも何かの縁ですね(笑)」
では最後にスティールメイツにメッセージをお願いします。
「神戸Sに入ってから自分のSNSで牛ポーズをするようになりました。スティールメイツの皆さんがそれを見てくれていて、一緒に牛ポーズができたことも良い思い出です。ホストゲームではホットドッグをお買い求めいただき、ありがとうございました!これからも神戸を拠点に活動しますので、ぜひお店がオープンしたら食べに来てください!2シーズン、応援をありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」