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KOBELCO

close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

2024-25シーズン アーリーエントリー選手 インタビュー Part.5 WTB植田 和磨選手

 取材日:2025年2月18日

2024-25シーズン アーリーエントリー選手 インタビュー Part.5 WTB植田 和磨選手

兵庫県明石市出身。報徳学園高校で1年から活躍し全国高校ラグビー大会に3年連続出場、進んだ近畿大学でも1年からレギュラーを獲得しました。抜群のトライへの嗅覚を持ち、1年の時に関西大学Aリーグで11トライをマークし、トライ王に。そして、4年の時には大学生でただ一人、7人制日本代表の一員としてパリオリンピックに出場しました。将来を嘱望されるトライゲッター、植田 和磨選手の今後の目標とは。話を聞きました。

「パリ五輪で世界のトップと対戦した経験を活かして
レギュラー獲得と15人制日本代表入りを目指す」

WTB

植田 和磨

KAZUMA UEDA

PROFILE
  • 2002年12月4日(22歳)、兵庫県明石市出身
  • 明石ジュニアラグビークラブ→報徳学園高校→近畿大学
  • ポジション/WTB
  • 身長・体重/177cm・87kg
  • 代表歴/2024年五輪7人制日本代表

KOBELCO CUP『U17の部』落選の悔しさをバネに

植田選手がラグビーをはじめたのはいつからなのでしょうか。

「4歳の時です。友達に誘われて明石ジュニアラグビークラブに入部しました。足が速い方でしたし、ボールを持って走ることが楽しくて。ただ、小学生の頃は、僕らの代はあまり強くなくて、大会でも1回戦で負けるようなチームだったのですが、中学の部で加古川のチームと一緒になったんです。その加古川のチームが強くて、中学2年の時に出場した県大会で優勝することができました。中学3年の時にはコベルコ神戸スティーラーズラグビーグラウンドで行われた関西大会に勝って太陽生命カップ(全国中学生ラグビー大会)に出場することができました」

中学卒業後、報徳学園高校に進みました。

「ラグビーは続けようと思っていましたが、強豪校で自分の力が通用するのか自信がなかったですし、勉強が割りとできた方なので受験して公立高校に行こうと考えていました。そんな時に報徳学園高校からスカウトを受けたんです。悩みましたが、ラグビーで勝負してみようと思い報徳学園高校への入学を決めました」

1年から試合に出場し、3年連続で全国高校ラグビー大会の舞台を経験しました。報徳学園高校に進んだことは、1つのターニングポイントになるのでしょうか。

「公立高校へ進んでいたら全国高校ラグビー大会に出場できなかったですし、報徳学園高校を選んで良かったと思います。ただ、ラグビー人生においてターニングポイントという意味では、高校2年の時、KOBELCO CUP『U17の部』のセレクションに落ちたことの方が大きいですね。本橋(拓馬)や辻野(隼大)は選ばれたのですが、僕は最終選考で落ちてしまって…。その時の悔しさが自分にとって大きなバネになり、大学で成長することができました」

ウエイトトレーニングに取り組み、才能が一気に開花

近畿大学に進んだ理由は。

「求められているチームでラグビーをしたいという思いがありました。それに、大学卒業後はリーグワンのチームでプレーしたいと考えていて。近畿大学はいち早く声をかけてくれましたし、リーグワンには近畿大学出身の選手も数多くいます。あとは自分の努力次第だと思い、近畿大学に進むことに決めました。とはいえ、このままでは試合に出られないと思い、寮に入った日から僕にとって師匠である先輩の(福山)竜斗さん(三菱重工相模原ダイナボアーズ)に教えてもらいながらウエイトトレーニングに取り組みました。もちろん、チームでもS &Cコーチの指導のもとで、ウエイトトレーニングをしていたんですが、それに加えて、寮のトレーニングルームで朝と夜、自主練習をしていました。竜斗さんにはトレーニングメニューを作ってもらったり、夜食を食べるのに付き合ってもらったり、本当にお世話になりました。その成果が出て高校時代は67kgしかなかった体重が最終的に87kgにまでなり、プレースタイルもがらりと変わりました」

プレースタイルが変わったとのことですが、その変化とは。

「持ち味はランなのですが、抜き方が変わりました。高校時代は相手に触れられずにスピードで抜いていましたが、相手に触れられたら、体重が軽いので振り回されていたんです。体が大きくなってからは、相手に触れられてもフィジカルの強さを活かして抜けるようになりました。それが今の自分の強みにもなっています」

高校時代はウエイトトレーニングをやってこなかったのでしょうか。

「今の高校生はウエイトトレーニングをしていると思うのですが、僕の時は全然取り組んでこなくて。だから、大学に入った時はベンチプレスで60kgほどしか上げることができなかったんです(苦笑)。今では140kgを上げることができるようになりました」

植田選手は大学1年の時、関西大学Aリーグで11トライをマークしトライ王に輝きました。「ベスト15」には1年から4年連続で選出されています。

「1年の時は周りにいる選手が上手かったこともありますし、リーグ戦終盤になるとチームが『和磨にトライ王を取らせよう』となり、内側にいる選手が頑張ってくれて僕はトライゾーンにボールを置くだけでしたから。ベスト15に選ばれたのも、チームメイトのお陰です」

大学2年のシーズン終了後、7人制日本代表候補であるセブンズ・デベロップメント・スコッドに招集されたんですよね。

「2年の時、リーグ戦に臨むにあたり、また体を大きくしたんです。高校時代と比べて体重が増えたとはいえ、78kgしかなくて。このままだったらリーグワンのチームから声がかからないんじゃないかと不安になり、それでとにかく体重を増やそうと1日6食ひたすらご飯を食べて83kgまで増量しました。プレーに力強さが出て、関西大学戦や同志社大学戦ではハットトリックを決めることができました。チームは4位と大学選手権には進めなかったですが、個人的にはリーグ戦で8トライを上げ、良いシーズンを過ごせて。すると、初めてセブンズ・デベロップメント・スコッドから声がかかりました。もともと高校時代から7人制には興味があって、セブンズユースに選ばれたいと思っていたんです。報徳学園高校からは先輩も後輩もセブンズユース日本代表に選ばれていて、僕らの代だけ誰も選出されていなくて悔しい思いをしていました。7人制で活躍できる自信があったので、チャンスをもらえて嬉しかったです。セレクション合宿に参加し、HSBCワールドラグビー セブンズシリーズ2023ハミルトン大会とシドニー大会のメンバーに選ばれました。遠征中に成人式があったので式に出たい気持ちもありましたが、1年半後にオリンピックがあったので、結果的に大会に出場し良かったです」

オリンピックの経験を次のステージに活かす

そして、4年の時、オリンピックに出場することができました。

「大学3年のシーズン後、また7人制日本代表に招集していただきました。7人制をはじめて日が浅いですし、オリンピックの代表メンバーに入れるとは思っていなかったのですが、とりあえず頑張ろうと思って。4年の時はオリンピックに向けての7人制と関西大学Aリーグに向けての15人制の掛け持ち状態で大変だったのですが、最終的にオリンピックに出場することができ努力が報われました」

オリンピックに出場し得たものとは。

「ニュージーランド代表や南アフリカ代表といった世界のトップチームと対戦し、ワールドクラスのフィジカル、スピードを体感できたことが収穫です。オリンピックに出たからには爪痕を残したいと思い、南アフリカ戦では独走トライを決めることもできました。7人制日本代表は全敗という結果に終わりましたが、パリオリンピックの経験があるのは大学生では僕だけです。そこがほかの選手と僕との圧倒的な違いだと思いますので、この経験を次のステージに活かしていけるようにします」

関西大学Aリーグで「トライ王」や「ベスト15」を受賞したり、オリンピックに出たり、中身の詰まった4年間を過ごされたように思います。

「濃い4年間でしたね(笑)。竜斗さんとのトレーニングによって体が変わって、関西大学Aリーグで自分の実力を示すことができました。同期を含めて一生付き合っていく仲間にも出会うことができて幸せな大学生活を送ることができました」

リーグワンのチームでプレーしたいという目標も叶えることができました。改めて神戸Sへの入団を決めた理由とは。

「7人制日本代表に招集されてから、ありがたいことにリーグワンのチームから声をかけていただくようになりました。神戸Sへの入団を決めたのは、地元のチームだったということもあります。それにビキさん(船曳 涼太)や(伊藤)大祐さんをはじめ、若い選手が多いことも魅力に感じ、これから強くなっていくチームだと思いました。クラブハウスを含め施設も充実していますし、神戸Sでこれまで以上に成長していきたいです」

2月15日、ドコモ大阪南港グラウンドで開催されたレッドハリケーンズ大阪とのトレーニングマッチが神戸Sの一員として初めて出場したゲームになりました。トライを決めたそうですね。

「ラインブレイクもできましたし、トライもマークできて、神戸Sでのファーストゲームとしてはまずまずの手応えを感じることができました」

目標はラグビーワールドカップ出場

ウィングとして今後、どのようなことを身につけていきたいですか。

「大学時代はみんなが繋いでくれたボールを外で待ってトライしたり、ラインブレイクしたりということが主な仕事でしたが、神戸Sのウィングは縦にも横にも動いて、いろいろな仕事をしています。ワークレートとタックルは、目下の課題です。タックルに関しては、相手を仰向けにするようなドミネートタックルを決めることができるようにならないと。NTTリーグワン2024-25第8節クボタスピアーズ船橋・東京ベイ戦で(松永)貫汰さんが見せたタックルには驚きました。しかも相手はスクール、高校の先輩である(山田)響さんでした。今以上に強くタックルにいけるようにしたいですし、そうすることでディフェンスでもチームに貢献できるようになります。よりパワーアップして、リーグワンで戦える体を作っていこうと思います」

憧れの選手や理想とする選手はいるのでしょうか。

「このプレーいいなと思うことはありますが、特にそういう選手はいないんです。普段から時間があればリーグワンのハイライトをチェックしたり、YouTube等でステップ集を見たりしています。僕もラインブレイクやトライで会場を沸かせてハイライトに使ってもらえるようなプレーをしたいですね」

今後の目標は。

「15人制で日本代表に選ばれることが目標です。昨年8月、日本代表の宮崎合宿に練習生として参加し、代表に入りたいという気持ちが高まりました。神戸Sで試合に出て、日本代表に招集されて、2027年のラグビーW杯オーストラリア大会に出場したいです」

リーグワンでの目標は。

「ウィングでレギュラーを獲得しトライ王を目指します。トライを取ることでチームに貢献できますし、日本代表入りにも近づくと思います。ボールキャリー、ラインブレイクなど、個人ランキングにも上位にランクインできるよう頑張ります」

では最後にスティールメイツへメッセージをお願いします。

「1日も早く試合に出て活躍し、皆様に名前と顔を覚えていただきたいと思います。ぜひ『和磨』や『カジー』と声をかけてください。コーチ陣や先輩たちから多くのことを吸収し成長して、皆様から愛される選手になりたいと思いますので、これから応援よろしくお願いします」

船曳 涼太選手とはお互いに兵庫県出身ということもあり、小学生の頃から大会でよく対戦していて、高校時代にも国体予選でチームメイトとして一緒にプレーしたことがあるそう。そんな子供の頃からよく知る選手が入団1年目から試合に出ている姿を見て、刺激を受けているとも話していました。「ビキさんとはライバルになりますが、ウィングでポジションを獲得できるよう頑張ります」と植田選手。トライ王はもちろん、1年目は新人賞も狙いたい!と力強く宣言します。ちなみにチームで新人賞に選ばれたのは、後藤 翔太さん(トップリーグ2005-2006)と山下 楽平選手(トップリーグ2014-2015)の二人のみ。チームの歴史に名前を刻むのか、植田選手のこれからに期待大!

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