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KOBELCO

close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

2024-25シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.4  FLソロモネ・フナキ選手 & UTB辻野 隼大選手

 取材日:2025年2月26日

2024-25シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.4  FLソロモネ・フナキ選手 & UTB辻野 隼大選手

トンガ出身のソロモネ・フナキ選手は15歳の時に来日し、目黒学院高校でプレー。辻野選手は中学3年の時に大阪府中学代表として全国ジュニアラグビー大会で優勝を経験し、その後、強豪・京都成章高校へ。高校時代は試合をしたこともなかったという両選手が京都産業大学で出会い、4年の時に共同キャプテンとしてチームを牽引しました。これからは神戸Sでチームメイトとして共に成長を目指す両選手のインタビューをお届けします。

「ナキ、タマからいろいろなことを吸収し、
バックローでの日本代表入りを目指す!」

FL

ソロモネ・フナキ

SOLOMONE FUNAKI

PROFILE
  • 2002年4月12日(22歳)、トンガ出身
  • トンガカレッジ→目黒学院高校→京都産業大学
  • ポジション/FL
  • 身長・体重/185cm・110kg

「どのポジションでもレベル高くプレーでき、
スティールメイツから末長く愛される選手に」

UTB

辻野 隼大

HAYATA TSUJINO

PROFILE
  • 2002年12月25日(22歳)、大阪府大阪市出身
  • 大阪市立長吉西中学校→京都成章高校→京都産業大学
  • ポジション/UTB
  • 身長・体重/178cm・87kg

すべてにおいてレベルの高い環境で日々、奮闘中

2月22日に行われたNTTリーグワン2024-25第9節トヨタヴェルブリッツ戦でフナキ選手が試合に出場し、チーム内のアーリエントリー選手の中でリーグワンデビュー第1号になりました。

フナキ「リーグワンで第一歩を踏み出すことができて嬉しかったです。ただ、試合ではなかなか自分のやりたいプレーができなくて。まだまだこれから成長しないといけないと思いました」

辻野「大学時代を一緒に過ごしてきた家族のような存在でもあるソロ(ソロモネ・フナキ)が早々にリーグワンデビューを果たして、嬉しい気持ちになりました。ソロと一緒に試合に出られるよう、僕ももっと頑張らいといけないと火がつきました」

両選手が神戸Sに入団を決めたのはどういう理由からだったのでしょうか。

辻野「神戸Sは子供の頃から憧れのチームだったこともあり、ここで日本一を目指したいと思いました。それに、ソロという心強いパートナーもいます。一緒に力を合わせてチームの優勝に貢献したいと思いました」

フナキ「子供の頃からダン・カーターの大ファンでした。それに神戸Sのチームカラーである赤も好きな色です。でも、いろいろなチームから声をかけていただき、進路を悩んでいて。そんな時にテレビで平尾 誠二さん(元GM)のドラマ(テレビ朝日ドラマプレミアム 友情〜平尾誠二と山中伸弥『最後の一年』〜)を見たんです。平尾さんのことは知らなかったのですが、すごい人だなと思いましたし、チームの歴史を知ることができて神戸Sに行きたいと思いました」

神戸Sに入団し1ヶ月が経ちましたが、練習に参加し感じたことは。

辻野「求められていることのレベルが高いですし、ラグビーをする上で決め事がたくさんあるので、それを覚えるのに必死です。特に神戸Sのラグビーはアタックでもディフェンスでもコネクションを大事にしているので、連動した動きができるようにならないといけません。大変ですが、やりがいを感じます」

フナキ「頭を使ってラグビーをしないといけないですし、それにフィジカルのレベルも高くて。神戸Sに入って一番驚いたのが、ガズラ(ブロディ・レタリック)のプレーでした。フィジカルも、『負けたくない』というマインドセットも、すべてにおいて次元が違います。ガズラをはじめ、才能ある選手と一緒にプレーし勉強になることが多いです」

辻野「フィジカルレベルは大学時代と比べて格段に上がりました。実は練習の時にエパ(ジェラード・カウリートゥイオティ)とナキ(サウマキ アマナキ)に抱え上げられたことがあって。大学時代には考えられない強さに、ただただ驚きました」

持ち味を教えていただけますか。

フナキ「持ち味はフィジカルをいかしたボールキャリーとタックルですが、これからさらに強化しようと取り組んでいる最中です。体重を落として筋肉を増やしてサイズアップを目指しています」

辻野「ゲームメイクとステップ、そして、コミュニケーション能力です。あと、スピードという点でチームのベスト記録が出てコーチ陣から褒めていただきました。それまで自分の持ち味だとは思っていなかったのですが、今後伸ばしていって武器にしていけたらと思います」

理想とする選手像はあるのでしょうか。

フナキ「アーディ・サベア選手です。サベア選手のように攻守で激しくプレーし、チームを勝たせられる選手になっていきたいです」

辻野「ベン・スミス選手ですね。高校時代から憧れていました。スミス選手は派手なプレーはないけれど、すべてにおいてスタンダードが高くて、チームにとって必要不可欠な存在です。実は高校時代、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)の練習に参加させてもらったことがあり、アタック&ディフェンスの時にスミス選手からパスをもらってトライすることができました。その時にスミス選手に頭を撫でてもらったことは忘れられません。スミス選手のようなプレーヤーになっていきたいと思います」

両選手のこれまでのラグビー人生を紐解く

ところで、両選手のこれまでのラグビー人生について教えていただきたいのですが、競技をはじめたきっかけというのは。

フナキ「13歳の時、友達に誘われてラグビーをすることにしました」

辻野「中学1年の時に、友達に誘われてラグビー部に入部しました」

それまでにスポーツの経験は。

フナキ「住んでいた地域はバレーボールが盛んだったので、僕もやっていました」

辻野「僕はサッカーとダンスです。スタジオに通ってロックダンスをしていた経験があるので、神戸Sに入って新加入選手が一発芸を披露する際にはソロと一緒にダンスパフォーマンスをして乗り切りました」

辻野選手は大阪出身ですが、京都成章高校に進みました。

辻野「中学2年の時、京都成章高校が全国高校ラグビー大会準々決勝で東福岡高校と対戦し、強豪のヒガシを追い詰めたのですが、その時に満員の観客が京都成章の味方になって応援していました。結局、試合は負けましたが、それ以来、京都成章高校のファンになって。中学3年の時に全国ジュニアラグビー大会で大阪府中学校代表に選ばれたこともあり、声をかけていただいて京都成章高校に進むことにしました」

高校時代はどうでしたか。

辻野「中学までは身体能力だけでプレーしていましたが、高校ではそれだけでは試合に出られないと気付いて…。試合映像をたくさん見て、このプレーはどういう意図があるのかなど、考えてプレーするようになりました。また、3年の時には宮尾(昌典/東京サントリーサンゴリアス)と一緒に共同キャプテンをさせてもらったことも良い経験になりました。チーム自体は勝つためのラグビーを追求していて、ミーティングの質も高くて。最終的には全国高校ラグビー大会準優勝と日本一には届かなかったですが、個人的には学びの多い3年間になりました」

フナキ選手が来日を決めた理由を教えてください。

フナキ「13歳でラグビーをはじめましたが、トンガはフィジカルを前面に出したラグビーが主流です。僕はもう1段階高いレベルのラグビーがしたかった。ラグビーW杯イングランド大会で日本代表が南アフリカ代表に勝利した試合を見て、日本はスキルが高くて、スピードあるラグビーをしていて面白いなと思いました。スキルを身に付けることやフィジカルだけではないラグビーをやってみたいと思うようになっていた時に運良くチャンスをもらって目黒学院高校に進むことにしました」

日本に来てから言葉の面や食事の面はどうでしたか。

フナキ「食事はどれもこれも美味しくて、特にラーメンが気に入りました。言葉の面に関しては、まったく日本語ができなかったので最初は苦労しました。1年、2年の時は、留学生だけのクラスで日本語を学んで、3年からは日本人のクラスメイトと一緒に授業を受けることができるようになりました。あと、日本に来て驚いたことは、冬の寒さです。人生で初めて雪を見ました」

ラグビーの面はトンガと比べてどうでしたか。3年の時には全国高校ラグビー大会に出場することができましたね。

フナキ「練習の厳しさに驚きました。ただ、高校でそういう経験をしていたから京都産業大学の練習についていくことができたのだと思います。その経験がなければ大学では逃げ出していたかもしれませんから(苦笑)。高校に入ってからずっと全国高校ラグビー大会出場を目標にしていたので、3年の時は東京都予選決勝で本郷高校に勝てて嬉しかったです。ただ、大会は2回戦敗退に終わって…。対戦相手の大分東明高校は留学生が所属するチームだったので、絶対に負けたくないという気持ちがありました。個人的にはトライを上げることができたのですが、敗れてしまい悔しかったです。その後、大分東明高校の留学生が日本大学に進んだと聞いて、大学1年の時の大学選手権準々決勝で日本大学と対戦した時に27-26で勝利し、高校時代のリベンジを果たすことができました」

フナキ選手のポジションの変遷を教えてください。

フナキ「足が速かったこともあり、センターでプレーしていたのですが、高校の時に足を骨折し復帰したら、以前のように走れなくなって。バックスでプレーするのは無理かなと思い、フォワードでプレーしたいと申し出て、3年からロックでプレーすることになりました」

フナキ選手と辻野選手は、高校時代、試合をしたことがあったのでしょうか。

辻野「なかったですね。まったく接点がありませんでした」

共同キャプテンとしてお互いに助け合い支え合った

両選手が京都産業大学へ進学を決めたのは。

辻野「もともと関東の大学に行きたい気持ちがあったのですが、希望していた大学に進むことができなかったという経緯があります。それで高校の先輩で、京都産業大学に進んでいた三木(皓正)さん(トヨタヴェルブリッツ)に相談したんです。三木さんも関東の大学が第一志望だったということもあり、考えた末に僕も京都産業大学で頑張ることに決めました」

フナキ「大学を決める時にいろんな人に相談したのですが、みんなから京都産業大学は練習がきついから大変だよと言われました。けど、僕は反対にそういう大学の方が成長できるんじゃないかと思い、京都産業大学に進むことにしました。実際に進んで、予想していた以上に練習がきつくて!辞めたいと思ったこともありましたが、半年もすれば慣れましたね」

両選手は大学で初めて出会ったわけですが、お互いの印象を教えてください。

辻野「ソロは先に入寮していてAチームの練習にも参加していました。中学、高校時代と留学生と一緒にラグビーをしたことがなかったので、どんな感じなのかなと思っていたんですが、ソロは日本語が上手で、もうすでに関西弁で話していて(笑)。まず、そのことに驚きましたね」

フナキ「関西弁はすぐにマスターしました(笑)」

辻野「あと、留学生は留学生同士で固まるイメージがあったのですが、ソロは同期の日本人と一緒に遊びにいったり、食事にいったりして、すぐに仲良くなれました。ソロのすごいところは、コミュニケーション能力の高さです。それに、なんといっても人間性が素晴らしいと思います」

フナキ「ありがとう!隼大は自分の考えをしっかり持っていて、1年の時からコーチ陣に対してもきちんと意見を言えたり、発言したりしていました。しっかりしているし、すごいなと思いました」

4年の時、フナキ選手と辻野選手は共同キャプテンに就任しました。

フナキ「考えてもいなかったことなので驚きました。大西(健)先生(相談役)からも『辻野と二人で頑張れ』と言われました」

辻野「ソロは大西先生とよく食事に行っていましたね」

フナキ「多い時は2週間に1度ご飯に連れていってもらっていました」

共同キャプテンとしてどのようにチームを牽引していたのでしょうか。

辻野「僕は言葉で、ですね。ソロはプレーで、背中で引っ張ってくれました」

フナキ「隼大がみんなの前で発言してくれるので、僕はグラウンドでチームのために100%出し切ればいいだけでした。だから、ミーティングで隼大が喋っている時に、話を聞いていない選手やふざけている選手がいると許せなかった。日本人でも留学生でもそういう選手がいたら注意していました」

辻野「『隼大が何を言っていたか、わかる?』とソロが注意してくれるんです。日本人、留学生関係なく、みんな、よく怒られていましたね。ソロがサポートしてくれたから共同キャプテンとしてチームを引っ張ることができたのだと思います」

それぞれの目標に向かって全力で取り組んでいく

4年の時は関西リーグ4連覇がかかっていましたが、残念ながら天理大学に敗れて2位。その後の大学選手権大会では準決勝で早稲田大学に敗戦し、ベスト4という結果に終わりました。

フナキ「大学選手権で前の年に勝利した早稲田大学に負けたことよりも、関西リーグで天理大学に敗れたことが4年間で一番悔しかったです。天理大学も留学生が所属しています。だから、どんな試合でも天理大学には負けたくないと思って戦ってきました。それが最終学年で初めて負けて。あの試合は本当に悔しい試合になりました」

フナキ選手にとって最後の天理大学戦は忘れられない悔しい敗戦になったと。辻野選手にとって大学時代、もっとも印象に残る試合というのは。

辻野「一番印象に残っているのは、3年の時に大学選手権大会準決勝で明治大学に敗れたことです。準々決勝で早稲田大学に快勝し、準決勝に向けて自信がありました。だけど、結果は完敗。早稲田大学との試合は、僕らがフィジカルで圧倒したことで勝つことができたのですが、明治大学とはフィジカルがイーブンで、そこでラグビーの荒さが出てしまいました。やるべきことは明確になったはずなのですが、最終学年でも同じことをしてしまったという後悔があります。自信を覆されたという意味でも、3年の時の大学選手権大会準決勝明治大学戦は一番記憶に残る試合になりました」

4年間でどういうところが成長できたと思いますか。

辻野「率先してきついことをするということを4年間やり続けました。それによってプレーだけでなく、人間性も成長できたと思います」

フナキ「ラグビー人生で初めて共同キャプテンを経験し、リーダーシップを身に付けることができました。これからは神戸Sのためにベストなパフォーマンスをして勝利に貢献できるよう頑張ります」

これから神戸Sの一員としてリーグワンを戦っていくことになります。今後はどういう選手になっていきたいですか。

辻野「コーチ陣から求められるポジションでレベルが高いプレーができるようになっていきたいです。それにチームにはスタンドオフやセンターなら(李)承信くん、フルバックなら山中(亮平)さんと、日本代表を経験している選手がいます。そういう選手の存在は刺激になります。先輩からいろんなことを吸収し、近い将来、越えていけるように努力します」

フナキ「攻守で激しい、アーディ(・サベア)のようなプレーヤーを目指して全力で取り組んでいきます」

目標は。

辻野「まずは試合に出ることです。そして、神戸Sでスティールメイツから末長く愛される選手になって、このチームでラグビー人生を終えたいと思います」

フナキ「同期の中で一番にリーグワンの試合に出るという目標は叶えたので、次はバックローでレギュラーポジションを取りたいです。そして、次は日本代表になること。ナキ(サウマキ アマナキ)やタマ(ティエナン・コストリー)に続くことができるよう、神戸Sでたくさん練習をして成長していきます」

では最後にスティールメイツへメッセージをお願いします。

辻野「試合中に一番声を出しているのは僕だと思います!チームにパッションやエナジーを与えられる選手になれるよう頑張ります。試合会場でたくさん声をかけてください。熱い応援よろしくお願いします!」

フナキ「一生懸命頑張ります。応援よろしくお願いします!」

4年間、関西リーグ優勝そして大学日本一を目指して厳しい練習を積んできて、濃密な時間を過ごした両選手。フナキ選手は、辻野選手のことを発言力やリーダーシップが抜きん出ていると言い、辻野選手はフナキ選手のことをプレーでチームを引っ張ってくれる存在だと話し、お互いにリスペクトしている様子が随所に伝わりました。共にストイックにラグビーに取り組む熱血漢。関西ラグビー界を沸かせたルーキーに期待せずにはいられません。

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