取材日:2025年2月18日
2024-25シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.3 LO本橋 拓馬選手 & SH上村 樹輝選手
高校時代から注目選手として将来を嘱望されていた本橋 拓馬選手は屈指の強豪校である帝京大学でも1年から試合に出続け、2024年6月にはJAPAN XVの一員としてマオリ・オールブラックス戦に出場。上村 樹輝選手は京都工学院高校から帝京大学へ。2年からメンバー入りを果たし、4連覇を達成した大学選手権決勝戦には途中出場し仲間と歓喜の輪を作りました。両選手はこれからコベルコ神戸スティーラーズでもチームメイトとして頂点を目指します!
「世界最高LOから多くのことを吸収して、 レタリック選手を超える選手を目指す」
LO
本橋 拓馬
TAKUMA MOTOHASHI
PROFILE
- 2002年4月30日(22歳)、兵庫県神戸市出身
- 西神戸ラグビースクール→京都成章高校→帝京大学
- ポジション/LO
- 身長・体重/193cm・116kg
- 代表歴/JAPAN XV
「テンポの良い球捌きとアグレッシブなプレーが強み。 神戸Sのアタックを体現しチームを勝たせるSHに」
SH
上村 樹輝
ITSUKI KAMIMURA
PROFILE
- 2002年12月13日(22歳)、京都府京都市出身
- 洛西ラグビースクール→京都市立西陵中学校→京都工学院高校→帝京大学
- ポジション/SH
- 身長・体重/168cm・71kg
関西のチームでプレーしたいという思いがあった
神戸Sに入団し感じたことを教えてください。
本橋「僕と(上村)樹輝はほかの同期たちより2週間遅くチームに合流したのですが、先輩たちから話しかけてくださって、チームに溶け込みやすい雰囲気を作ってもらっています。明るくて、居心地の良さを感じています」
上村「ラグビーに関しては大学時代と比べてすべての面でレベルの高さは感じます。1日も早くチームのシステムをしっかり理解して、スキルもフィジカルもレベルアップさせていかないといけません」
本橋「僕もそうですね。フィジカルには自信がありましたが、リーグワンレベルで戦うにはまだまだ足りない。運動量という面でもフィットネスをより上げていかないといけません。それに、コーチ陣からは体脂肪のことを指摘されて…」
チームから体脂肪を落とすように言われているのでしょうか。
本橋「体脂肪を落として筋肉を付けるよう指示を受けています。神戸Sに来て驚いたのは、どの選手も腹筋が割れていて!先輩たちの身体つきには衝撃を受けました。僕もリーグワンで戦える体になるよう取り組んでいきます」
神戸Sに入団した決め手を教えていただけますか。
上村「リーグワンでプレーすることが夢だったのですが、京都市出身なので関西に戻ってきたいという気持ちがありました。そんな中で神戸Sの練習に参加させていただき、ラグビーをする環境や雰囲気の良さに惹かれて、ここでラグビーがしたいと思うようになりました。声をかけていただいて嬉しかったですし、チームの力になれるよう成長していきたいです」
本橋「僕は神戸市出身なので、地元で活動しているチームでプレーしたいという思いがありました。それにコベルコ神戸スティーラーズラグビーグラウンドは、子供の頃、ラグビースクールで使わせてもらっていたので、『帰ってきた』というホーム感があります。地元のチームで頑張りたいという思いが一番にありましたし、あと、ブロディ・レタリック選手の存在も大きかったです。世界最高のロックと一緒にプレーして、いろんなことを吸収したいと思いました」
実際にレタリック選手とプレーしてどうでしたか。また、上村選手は憧れているような同じポジションの選手はいないのでしょうか。
本橋「レタリック選手は想像していた以上に大きくて、まずそのサイズに驚きました。しかも、高身長にもかかわらず、タックルして走って、ボールキャリーして、またタックルしてといった感じで、絶え間なく働き続けていて、とにかくワークレートがすごい。ワークレートの高さに加えて、レタリック選手はスピードも速い。世界レベルのプレーを間近で見ているだけでも勉強になりますね」
上村「日和佐(篤)さんは、子供の頃から映像を見ていて、尊敬すべき存在です。オーラがあって、まだ声をかけることができないのですが、今後いろいろと教えてもらいたいと思います」
高校時代は全国高校ラグビー大会京都府予選で対戦
ところで両選手は、中学時代、本橋選手は兵庫県スクール代表、上村選手は京都府中学校代表として全国ジュニアラグビー大会に出場していますね。
上村「拓馬はその頃から身長が大きくて目立っていました」
本橋「中学3年で188cmありました」
上村「一人だけ飛び抜けていましたから。大会では対戦しなかったのですが、拓馬の存在は知っていました」
両選手がラグビーをはじめたきっかけは。
本橋「小学1年生の時、学校でラグビースクールのチラシをもらったのですが、そこに友達の写真が載っていたんです。その子も通っているみたいだし、体験会に行ってみようと思ったことがきっかけです。父も母もラグビーをしていたわけではないですし、チラシが配られていなかったらラグビーをやっていなかったと思います」
上村「幼稚園の年中からはじめました。兄がラグビーをしていたので、よく練習についていっていたのですが、いつの間にか僕もプレーしていて。兄の影響が大きいですね」
ラグビーはすぐにハマりましたか。
本橋「小さな頃から体が大きかったので、ぶつかることが楽しくて!こんなに身長が伸びるとは予想していなかったですけど、ラグビーは自分の能力をいかすのに最適なスポーツだと思いました」
上村「すぐに好きになって続けていましたが、ラグビーを本当に楽しいと思うようになったのは、中学3年の時です。小学3年まではウィングでプレーしていたのですが、4年からスクラムハーフに転向しました。当時はパスが下手だったのでラグビーを嫌いになりかけた時期もあったのですが、中学3年の時、伏見工業高校でスクラムハーフをしていた伊藤(賢)監督にパスの仕方を1から教えてもらったことで、また楽しくプレーできるようになりました。厳しい先生でしたが、その人に出会えたことがラグビーを続ける1つの転機になったように思います」
上村選手は中学3年からスクラムハーフでプレーしているんですね。本橋選手のポジションの変遷を教えてください。
本橋「小学生の頃は足が速くて、センターをしていたのですが、小学6年の時にベストタイムを出してからなかなか更新できなくて、中学からフォワードでプレーすることにしました。ただ、スピードには自信があったので、中学時代は12人制だったこともあり、よく独走トライをしていましたね」
本橋選手は京都成章高校、上村選手は京都工学院高校に進みました。本橋選手は兵庫県の高校ではなく、なぜ京都成章高校へ進んだのでしょうか。また、上村選手が京都工学院高校を選んだ理由を教えてください。
本橋「全国ジュニアラグビー大会の時に兵庫県スクール代表で一緒だったスクラムハーフの宮尾(昌典/東京サントリーサンゴリアス)と同じ学校でラグビーをしたいと思ったことが理由です。宮尾は昔からラグビーがうまくて、それに気も合って。ラグビースクールは別のチームだったのですが、お互いに連絡を取り合って、先に宮尾が京都成章高校へ行くことを決めたので、僕もそれについていったという感じです」
上村「スクラムハーフとして必要なことを教えてくれたラグビー部の伊藤監督が伏見工業高校出身ということが大きかったです。伊藤監督のことと、小学生の頃に松田力也選手が伏見工業高校でプレーしていたことをよく覚えていて、伏見工業高校と洛陽工業高校が統合した京都工学院高校に進むことに決めました」
高校時代、上村選手は京都成章高校に勝って全国高校ラグビー大会に行くのが目標だったのでしょうか。
上村「全国高校ラグビー大会出場を掲げていましたが、京都府予選決勝で京都成章高校と対戦し3年連続で負けてしまって。京都成章高校は強かったですし、僕らにとって高い壁でした。だから、昨年後輩たちが京都成章高校に勝利し全国高校ラグビー大会に出場してくれたことは、めちゃくちゃ嬉しかったです。高校時代は全国高校ラグビー大会には出場できなかったですが、自主練習にもしっかり取り組んで成長するために頑張ることができた3年間になりました」
本橋選手はどういう3年間になりましたか。
本橋「1年から試合にも出させてもらえて経験を積んで成長することができました。優勝を目指して取り組んできましたが、3年の時、全国高校ラグビー大会決勝で桐蔭高校に敗れて準優勝になったのが最高順位で。その時の悔しさもあって、大学では日本一になりたいという思いがより強くなりました。あと、高校時代、湯浅(泰正)監督から『周りの意見を1度受け入れてやってみろ』と言われたんです。それまではアドバイスを受けても、自分が違うと思ったことは絶対にやらなかったのですが、湯浅監督から1度やってみて、それから考えてもいいのではないかと言われて。そういう考え方をするようになってから、プレーの引き出しが増えたように思いますし、高校時代はラグビー選手としてプレーだけでなく、精神面でも成長できたと感じています」
大学時代に叶えた初めての日本一
そして両選手は帝京大学へ。帝京大学へ進んだのは、どういう思いがあったからでしょうか。
上村「悩んだのですが、兄からどうせやるなら強いチームでチャレンジして、力を出し切った方が楽しいんじゃないかとアドバイスをもらって。兄の言葉で帝京大学に進んで本気でラグビーに取り組むことに決めました」
本橋「子供の頃からリーグワンのチームでプレーすることが夢でした。リーグワンのチームには帝京大学出身の選手がたくさんいます。夢を叶えるには帝京大学に進むことが近道だと思ったことと、高校時代からよく怪我をしていたので、リカバリーという面でも施設が整っている大学が良かったということもありました」
大学時代、チームメイトとして4年間を過ごして、お互いのことをよく知っていると思います。
上村「拓馬はのんびりしていて優しいですし、すべてを包み込むような大らかさがあります。4年の時、拓馬はバイスキャプテンをしていましたが、キャプテンの(青木)恵斗(トヨタヴェルブリッツ)が感情を出すタイプだったので、それを拓馬がうまくサポートしてくれて。試合中は激しくファイトしますけど、グラウンドから出たら穏やかで、1年の時からずっと変わらないですね」
本橋「樹輝は僕と反対に血の気が多いタイプですね(笑)。練習でも試合中でも、大きな選手に対して『お前、何してんねん!』って感じで向かっていく。めちゃくちゃ強気で負けず嫌い。普段は優しいです、多分」
上村「多分って何やねん(笑)」
本橋「優しいです(笑)」
そんな両選手ですが、どんな4年間を過ごしてきたのでしょうか。
本橋「怪我が多かったですね。試合で怪我をして復帰して、その繰り返しでした。けど、4年の時はまったく怪我をしなくて、大学生活の集大成を発揮することができました」
上村「1年の時、夏合宿の練習試合で手応えを感じてAチームに上がってチャンスをもらうことができたのですが、その後、パフォーマンスが悪くて。そうこうしているうちに同期で同じポジションの李(錦寿/埼玉パナソニックワイルドナイツ)くんがAチームに定着しはじめました。このままだったら試合に出ることができないと思い、必死に努力して、2年から試合に出られるようになりました。ただ、自分の中ではみんなの信頼を勝ち取れたと思えたのは3年になってからです。1年の時に、岩出(雅之)前監督に『Aチームに落とされると、すぐに態度に出て不貞腐れるところがある』と指摘されて、それから人として選手として変わることができました。落とされても腐らずに努力を重ねていって、3年の時に自分自身も良いプレーができるようになってきたと感じることができました」
なかなか『9番』を付けて試合に出られなかったですが、上村選手にとって埼玉WKに入団した李 錦寿選手の存在とはどういうものだったのでしょうか。
上村「オフの日は一緒に出かける仲が良かったのですが、グラウンドに出たらライバルとしてバチバチやりあっていました。『負けたくない』という気持ちが常にあったので、李くんが練習していたら、自分も練習するという感じで常にライバル意識を持って切磋琢磨したから成長することができたのだと思います」
本橋選手は4年の時には全試合に出場しました。しかも、大学選手権では3試合連続でトライをマークしました。
本橋「4年の時は怪我がなかったことが大きいです。それまでは何かしら怪我があり、離脱しなければいけない時期がありましたが、4年は最終学年ということで自分の中で『覚悟』ができて乗り越えられたのだと思います。トライに関しては、準決勝と決勝はヘッドキャップのお陰ですかね(笑)。ヘッドキャップを付けていると思い切ってプレーできる。それもあって準決勝、決勝とトライができたのかなと思います」
大学時代でもっとも印象に残る試合というのは。
上村「やはり4年の時の大学選手権決勝です。直前に肩の怪我をしてしまい、出られるかどうかわからない状況でしたが、試合メンバーに入り短い時間ですがプレーできて優勝の瞬間をグラウンドで味わうことができました。そういうアクシデントがあったからこそ出られた喜びが大きくて。最高に幸せな試合になりました」
本橋「4年の時の優勝は対抗戦で敗れた早稲田大学に勝てて嬉しかったですが、明治大学と対戦した1年の時の大学選手権決勝も印象深いです。どんどんチームがまとまっていって、最後は細木(康太郎)キャプテン(東京サントリーサンゴリアス)の思いに乗っかって、4年ぶりに王座奪還ができました。僕自身にとってもラグビー人生で初めての日本一だったので感慨深いものがありましたし、1年の時に決勝の大舞台に80分間出させてもらったことは、その後の3年間を過ごす上で気持ちの面で余裕が生まれたように思います。1年の時は本当に何もわからないまま、全力でプレーすることだけしか考えていなかったですから」
1年の時は全力でプレーするのみだったということですが、その後の変化というのは。
本橋「岩出前監督や1学年先輩で3年の時にキャプテンをされていた江良(颯)さんから『お前はプレーが雑や』と言われていて。最初はその意味があまり理解できなかったのですが、映像を一緒に見て指摘されて、それからボールリリース1つに対しても丁寧にするようになって、4年の時は1度もノットリリースザボールの反則を取られていないんです。1つ1つのプレーの丁寧さは身に付いたと思います」
チームに必要とされる選手になっていく
本橋選手は4年の時にJAPAN XVとしてマオリ・オールブラックス戦に出場するなど、代表合宿にも参加されています。
本橋「コンタクトのレベル、激しさ、すべてが全然違っていて、すごく良い経験をさせていただきました。試合については僕が出場したのは後半20分過ぎてからだったので、相手が疲れていたこともあり、それほど強さを感じなくて。ただ、もともと日本代表になりたいという思いはなかったのですが、合宿に呼んでもらったことで、高いレベルでプレーする楽しさを感じて、代表への意識が高まりました」
上村選手は、本橋選手が代表合宿に参加する姿を見て刺激を受けたりしましたか。
上村「中学が一緒だった京都産業大学の土永 旭選手(横浜キヤノンイーグルス)が日本代表候補合宿に招集されているのを見て、すごいなと思いましたし、負けたくないと改めて思いました」
上村選手の強みはどこなのでしょうか。また、今後身に付けたいことは。
上村「テンポの良い球捌きとアグレッシブなプレー、負けん気の強さが持ち味です。あと、フィットネスにも自信があります。今後は状況判断を身に付けたいと思います」
本橋選手は最初に言われていたようにフィジカルが持ち味だということですが、今後はどういう選手になっていきたいですか。
本橋「フィジカルをもっと鍛えて、ボールを持ったら必ずゲインラインを超えて、誰よりも走って、誰よりも体をぶつけて頭ひとつ抜けた強さを持った選手になっていきたいです。できればレタリック選手を超えるような選手になりたいです」
期待していますね。両選手が神戸Sで達成したい目標は。
本橋「まずは神戸Sで試合に出ることです。そして、チームから必要とされる選手になりたいですし、チームが求める良い人間になっていきたいと思います」
上村「神戸Sのアタックを体現し、チームを勝たせるスクラムハーフになれるよう頑張ります!まずはチームでファーストキャップを取って、長くチームに貢献できるような選手になれるよう頑張ります」
では最後にスティールメイツへメッセージをお願いします。
上村「体は小さいですが、アグレッシブなプレーを見せたいと思います!皆様の熱い声援をよろしくお願いします」
本橋「体を張ったダイナミックなプレーをスティールメイツの皆様にご覧いただけるよう頑張ります。疲れている時に皆様の声がパワーになりますので、ぜひ応援よろしくお願いします」
実は上村選手は子供の頃からアーロン・スミス選手が好きだそうで、トヨタV戦に出場し、マッチアップすることを楽しみにしているとも話していました。一方、本橋選手はレタリック選手に憧れ、いつか彼を超えたいと決意。オールブラックスのレジェンドに熱視線を送る両選手ですが、実はそれほど海外ラグビーを見るタイプではないというオチも(笑)。おっとり穏やかな雰囲気の本橋選手に、ザ・スクラムハーフという性格で負けん気が強い上村選手。彼らがどのような成長曲線を描いていくのか、今後に期待が高まります!