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KOBELCO

close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

2024-25シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.2 HOシオネ・シメ・マウ選手

 取材日:2025年2月28日

2024-25シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.2 HOシオネ・シメ・マウ選手

15歳の時にトンガから来日。最初は言葉に苦労したそうですが、今ではまるで母国語のように流暢な関西弁(!)を操るマウ選手。大学2年の時にはトンガ沖噴火復興支援チャリティーマッチとして開催された「EMERGING BLOSSOMS vs TONGA SAMURAI XV」に大学生でただ一人、日本のトンガ出身選手で構成するTONGA SAMURAI XVに選ばれました。その時に一緒にプレーした中島 イシレリ選手からスクラムのことを教えてもらったことが、フッカーとして成長の転機になったそう。もともとバックローでプレーしていて、コベルコ神戸スティーラーズではプロップにも挑戦したいというマウ選手に話を聞きました。

「神戸SにはHOにもPRにも代表経験者がいます。
先輩たちと切磋琢磨して、いつかは日本代表に」

HO

シオネ・シメ・マウ

SIONE SIME MAU

PROFILE
  • 2002年4月10日(22歳)、トンガ出身
  • トゥポウカレッジ→高知中央高校→大阪体育大学
  • ポジション/HO
  • 身長・体重/180cm・115kg

TONGA SAMURAI XVで仲良くなったイシの存在が大きかった

チームメイトから何と呼ばれているんですか。

「『ジェイ』や『マウ』と呼ばれています」

コベルコ神戸スティーラーズに入り1ヶ月が経ちましたね。練習に参加し感じたことを教えてください。

「怪我をしていて、チームに入った当初はリハビリをしていたんです。ようやく今日からチーム練習に参加できることになりました。まだ1度だけですが、練習に参加し、チームのシステムを理解しないといけないですし、やるべきことはたくさんあると感じました」

やるべきことというのは。

「周りの選手とのコミュニケーションもそうですし、セットプレーもまだまだレベルアップさせないといけません。特にスクラムについては大学時代と組み方が違っていたりするのでアジャストしていかないと。ただ、回数を重ねていけば自然と慣れてくると思うので、これからたくさん練習して神戸のスクラムを体得したいです」

マウ選手がコベルコ神戸スティーラーズに入団を決めた一番の理由を教えてください。

「大学時代、神戸Sの練習に参加させていただいて、このチームに入れば成長できると思ったことが大きな理由です。スクラムでは誰にも負けたくないので、神戸Sにはフッカーにもプロップにも代表経験者がたくさんいて成長するにはうってつけの環境です。レベルの高い先輩たちと切磋琢磨して、たくさん学んで、1日も早く試合に出られるように頑張ります」

中島 イシレリ選手とはトンガ沖噴火復興支援チャリティーマッチとして開催された「EMERGING BLOSSOMS vs TONGA SAMURAI XV」の時にTONGA SAMURAI XVで一緒にプレーしていますね。

「TONGA SAMURAI XVで初めてイシ(中島 イシレリ)と会ったのですが、その時にいろいろなことを教えてもらいました。僕は大学2年で、その数ヶ月前にナンバーエイトからフッカーへコンバートしたばかりだったのですが、イシから『スクラムは目の前の選手を倒すという気持ちで組まないと勝てないよ』『気持ちで絶対に負けちゃいけない』と何度も言われました。その言葉は僕にとってスクラムを組む時の信条になっています。イシはどんなにきつい練習であっても手を抜かず、何事にも一生懸命で、すごい選手です。そんなイシと一緒にプレーしたいと思ったことも神戸Sに入った理由のひとつです。TONGA SAMURAI XVは、何ものにも代えがたい貴重な経験になりましたし、フッカーとして成長するきっかけにもなりました」

中島選手の存在も神戸S入団の決め手のひとつだったんですね。

「イシの存在は大きいですね。僕はあまり自分から積極的に質問したり、話しかけたりするタイプではないので、TONGA SAMURAI XVは少し不安もあったのですが、イシから声をかけてくれてアドバイスをしてくれて、すごく嬉しかったです」

スクラムでの教えのほかに、中島選手からアドバイスを受けて印象に残っていることはありますか。

「ミスした後の気持ちの切り替えについて言われた言葉です。僕はミスをしたら、めちゃくちゃ落ち込んでしまうタイプなのですが、イシは『ミスは誰にでもあることだから、気にしないで、すぐに気持ちを切り替えて、次のプレーで取り返せばいい』とアドバイスしてくれて。僕も『次は絶対に取り返す!』という気持ちになるんですけど、その前にまず気持ちがズドンと落ちてしまう。イシは『落ち込む必要はないから』と言ってくれて、もちろん、ミスしないことが一番ですが、ミスした後、気持ちの切り替えができるようになりました」

これからも中島選手をはじめ先輩たちからのアドバイスを力に変えて成長していってくださいね。

「聞いたら悪いかなと遠慮する気持ちがあったのですが、自分から質問することも大事だと思うので、神戸Sでは自分からどんどん先輩たちに聞いていきます!」

もともとラグビーはあまり好きじゃなかったんです(笑)

ところで、マウ選手がラグビーをはじめたきっかけや来日することになった経緯を教えてくれますか。

「僕は8人兄弟の5番目なんですが、一番上の兄がトンガでラグビー選手をしていました。それもあり、12歳の時に学校の先生に勧められてラグビーをすることになって。チームが強豪校ということもあり、大会に優勝することもあったのですが、ただ、僕自身、あまりラグビーが好きじゃなくて(苦笑)。練習も厳しいし、なんで毎日こんなにきついことをしないといけないんだろうと思っていました。けど、母が常に励ましてくれて、ある時には新品のスパイクを買ってきてくれたこともありました。スパイクは高級品ですし、そんなに簡単に買えるものではありません。サポートしてくれる母のためにもラグビーを頑張らないといけないと思い、練習にも必死に取り組んでいたら、フッカーやプロップで試合にも先発で出られるようになりました。そんな時にチームの監督から日本でラグビーをするという選択肢があるよと言われて。もともとニュージーランドの高校でラグビーを続けようかとも考えていたんですが、両親に相談したら、日本行きを勧められて、それで高知中央高校へ行くことにしました」

トンガから多くの留学生が日本でプレーし、日本代表でも活躍しています。マウ選手は憧れている選手はいなかったのでしょうか。

「まったくラグビーを見ていなくて、選手のことも知らなかったんです。僕自身は『日本ってどこ?』『日本でもラグビーやっているんや』という感じだったんです(苦笑)」

日本へ行くことに不安はなかったのでしょうか。

「不安はなかったですが、家を離れることに対して寂しさはありました。けど、人生で初めて飛行機に乗ったら、そういう気持ちは吹き飛んで日本で頑張ろうという気持ちになって。トンガから高知まで20時間ほどかかりましたが、気持ちを切り替えるのに良い時間になりました」

日本語はどうやって身に付けたのですか。

「最初日本語が全然わからなくて大変でしたね。チームには1学年先輩にマナセ(・ハビリ/三重ホンダヒート)やツポウ(・マヘ)といったトンガ出身の選手がいて、同期にもファカタヴバ(・ハビリ)がいたので、彼らや日本人のチームメイトに教えてもらい、自分でも毎日勉強して2年の時にはなんとか日常会話はできるようになりました」

高校時代のポジションは。

「1年の時はプロップをしていたのですが、2年からバックローでプレーするようになりました」

高校時代の目標を教えてください。

「全国高校ラグビー大会に出場して勝つことを目指していました。2年と3年の時に出場したのですが、結局勝つことはできなくて。特に2年生の時は1回戦で秋田中央高校と対戦し、僕は2トライをマークしたんですけど、26-28で敗れて悔しい思いをしました。3年の時はバイスキャプテンをしていて、1回戦で名古屋市立西稜高校と対戦し、この時は1トライを挙げましたが、14-22で負けてしまって…。全国ではなかなか結果を出せずに終わりました」

高校卒業後は大阪体育大学に進みました。

「いろいろな大学から声をかけてもらったのですが、実際に大学へ行って学習面のサポートが厚いと感じた大阪体育大学に進むことにしました。関西Bリーグに所属していましたが、1年から公式戦にも出させてもらって経験を積むことができて良かったです」

将来を見据えてフッカーへコンバート

大学2年の時にナンバーエイトからフッカーへコンバートされましたが、それはどういう理由からなのでしょうか。

「僕は身長が高くないですし、ラインアウトの時にジャンパーとして飛ぶこともできない。リーグワンや日本代表を目指すなら、バックローではなく、トゥポウカレッジで経験していたフッカーでチャレンジした方がいいんじゃないかと考えたんです。将来を見据えてフッカーにコンバートしました」

その数ヶ月後にTONGA SAMURAI XVに招集されたんですね。

「そうです。良いタイミングで素晴らしい機会に恵まれました。フッカーにチャレンジして良かったです。もしフッカーにコンバートしていなかったら、神戸Sに入ることができなかったと思いますから」

リーグワンのチームに入りたいという気持ちはいつから持っていたのでしょうか。

「大学に入った時からリーグワンのチームでプレーしたいと思っていましたが、自信はありませんでした。チームも入替戦に行くけど、大差で敗れてしまって、Aリーグに上がれない。けど、3年の時、伊藤 隆太さんというS&Cコーチがチームに加わって、トレーニングをサポートしてくれるようになり、体がどんどん強くなっていき、それに伴い気持ちの面でも変化がありました。リーグワンでプレーしたいと強く思うようになりましたし、チーム自体も良くなっていくのを感じました」

4年の時はバイスキャプテンを務めていたんですよね。

「高校時代にもバイスキャプテンをしていましたが、もともとリーダーシップがあるタイプではないので、長崎(正巳)監督からやってくれないかと言われた時は『大丈夫かな』と思いました。けど、みんながサポートしてくれて、チームは『Aリーグへ行こう』とひとつにまとまっていました。結局、入替戦は関西大学と対戦し、最後の最後にトライとゴールキックが決まり、18-19で負けてしまいましたが、やり切ったので悔いはありません」

入替戦で対戦した関西大学には同期の宮内 慶大選手が『1番』で出場していました。神戸S入団後、その話はしましたか。

「慶大は『負けたと思った。大阪体育大学、強かった』と言ってくれて、その言葉も嬉しかったです」

大学時代はどういう4年間になりましたか。

「3年の時からチームがどんどん変わっていって、お互いのためにハードワークしてきました。入替戦が終わった後、同期たちが『お前が頑張っていたから、俺たちも頑張れた』と泣いてくれて。最高の仲間とラグビーができた4年間になりました」

日本代表になって両親に恩返しがしたい

神戸Sで新たな一歩を踏み出しましたが、今後の目標を教えてください。

「まず神戸Sで信頼を得て試合に出られるようになりたいです。そのためには最初に言ったように、セットプレーのレベルを上げたり、チームのラグビーを1日も早く理解したりしないといけません。試合に出て、リーグワンで優勝したいですし、ゆくゆくはトンガで応援してくれている両親のためにも日本代表になって恩返しがしたいと思います」

フッカーでレギュラーを狙うと。

「今後はプロップにもチャレンジしたいと考えています。フッカーとプロップ、どちらもできるようになれば試合出場が近づくと思いますので、リーグワンのレベルでもプロップでプレーできるよう取り組んでいきます」

持ち味を教えてください。

「コンタクトプレーに自信があります。あと、ハンドリングも得意です。けど、これからさらに体を強くして、学生時代よりも強いプレーやスキルを使ったプレーができるようにしていきたいと思います」

では最後にスティールメイツへメッセージをお願いします。

「スティールメイツの皆さんに名前と顔を覚えてもらえるよう頑張ります!試合会場で会った時は気軽に声をかけてください!応援よろしくお願いします」

「日本に来て良かった」と話していたマウ選手。特にラグビーをはじめた頃からずっと応援してくれている母には感謝しても仕切れないといいます。フッカーでも、プロップでも、神戸Sのフロントローはレベルの高い選手ばかりで競争が激しいですが、リーグワンに出場して、いつか代表入りを目指すマウ選手の今後にご期待ください。

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