取材日:2025年2月28日
2024-25シーズン アーリーエントリー選手 インタビュー Part.1 PR宮内 慶大選手
福岡県福岡市出身。強豪・東福岡高校では全国高校ラグビー大会で2年連続ベスト4進出。3年の時には『1番』で大会の優秀選手に選ばれたことも。その後、関西大学へ。大学時代は入替戦を経験するなど、「勝つことの難しさを知りました」と話す宮内 慶大選手。高校時代にチームメイトに関西出身の選手がいたこともあり、独特のノリが好きになったという彼が、コベルコ神戸スティーラーズに入り感じていることや、今後叶えたい夢とは何なのか。宮内選手に話を聞きました。
「日本代表経験者とスクラムを組んで成長し、
子供たちに夢を与えられるような選手になりたい」
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宮内 慶大
KEITA MIYAUCHI
PROFILE
- 2002年9月26日(22歳)、福岡県福岡市出身
- つくしヤングラガーズ→東福岡高校→関西大学
- ポジション/PR
- 身長・体重/176cm・105kg
新しい環境で日々ステップアップを実感
チームには1月下旬に合流しました。1ヶ月が経ちましたが、チームには慣れましたか。
「最初の頃はラグビーワールドカップで活躍したヤンブーさん(山下 裕史)や具(智元)さんといった錚々たる先輩たちに圧倒されて、凄いところに来てしまったと落ち着かない感じでした。今もまだ雰囲気には慣れていませんが、あまり先輩を意識しすぎるのも良くないかなと思って平常心で練習に臨んでいます」
言われたように神戸Sのフロントローは、『1番』も『3番』も日本代表経験者が多いです。そういう先輩たちとスクラムを組んでみて感じたことは。
「大学時代とは押し強さが段違いですし、組み方もまったく違います。これまでは力だけで組んでいましたが、神戸Sでは1つ1つの細かな動きにとことんこだわってスクラムを組んでいて。そこまで追求しないとリーグワンでは勝負できないのだと思いました。練習でスクラムを組む度に、平島(久照)コーチや先輩たちがアドバイスしてくれるので学ぶことが多いですし、ほかの選手がスクラムを組んでいるところを見るだけでも勉強になります。もちろん、うまくいかないことも多いですが、レベルの高い環境で練習し日々ステップアップしている実感があります」
コーチ陣から求められていることはあるのでしょうか。
「入団してからすぐに体を絞るように言われました。食生活を変えて、1日2回ウエイトトレーニングをして体脂肪を落とすよう取り組んでいるところです。これまで食べ物に関しては無頓着だったので大変ですが、リーグワンで戦える体を得られるよう頑張ります」
そのほかに大学時代と比べて違いを感じたことはありますか。
「先輩たちのオンとオフの切り替えには驚きました。ロッカールームでは和気藹々とした雰囲気で音楽を聴いたり、談笑したりしているのですが、いざグラウンドに入ると空気が一変します。大学ではロッカールームで緩い雰囲気だと、練習もピリッとしないまま進みました。スイッチの切り替えは、さすがだなと思って。特に僕は強豪といわれるチームに所属していたわけではないので、同期と比べると特に“差”を感じているのかなと思います。例えば、導入されているGPSも神戸Sに入団し初めて付けて練習しました。帝京大学や京都産業大学出身の4人は『大学でも同じものを使っていた』と言っていたんですけど、僕は初めてで。すべてが新鮮で刺激を受けています」
今後伸ばしていきたいと思っているところはどこでしょうか。
「フロントローとして、やはりセットプレーです。体を絞った上で筋肉をつけてサイズアップして、スクラム、ラインアウトといったセットプレーの安定に貢献できるようにしたい。プロップとしてスクラムが強くないと、試合に出ることはできないと思いますので、人の何倍も努力したいと思います」
現時点での宮内選手の持ち味を教えていただけますか。
「ボールキャリーを含めたフィールドプレーが得意です。高校時代、ハンドリングの練習に取り組んで、パス、キャッチに自信がつき、空いているスペースを探して走り込むことが好きになりました。フィールドプレーは高校時代に身に付いたところです」
神戸Sに入ってからレッドハリケーンズ大阪、トヨタヴェルブリッツと2試合のトレーニングマッチに出場しています。手応え等を教えてください。
「プレータイムは短かったのですが、周りを見ながら冷静に動き回ってプレーすることができました。課題はやはりセットプレーです。まだまだ伸ばさないといけないと痛感しました」
これからですね!
「そうですね。今はまだ練習についていくだけでも必死ですが、多くのことを吸収して成長していきたいと思います」
九州の強豪スクール「つくしヤングラガーズ」が原点
ところで、宮内選手は12歳からラグビーをはじめたそうですね。他競技の経験はあるのでしょうか。
「柔道をしていました。小学1年から柔道をはじめて競技も好きだったのですが、練習が厳しかったこともあり、6年間で辞めることを決意しました。中学からはサッカーをしようと思っていたのですが、両親からラグビーを勧められて、つくしヤングラガーズに入ることになりました。ただ、学校ではサッカー部に入ったんです。だから、平日はサッカー、土日はラグビーという生活を送っていました」
柔道やサッカーの経験はラグビーに活きているのでしょうか。
「柔道で体幹が強くなったと思います。体幹の強さはタックルに活かせているんじゃないかなと。あと、サッカーをしていたので、プロップですが、キックを蹴ることができます。学生時代は裏にスペースがあればキックを蹴って、チームメイトがそれに反応して、というプレーをよくしていました」
中学時代はラグビーとサッカーをしていたわけですが、最終的にラグビーを選んだ理由は。
「ラグビーもサッカーも団体競技ですし、個人競技の柔道とは違う楽しさがあったのですが、ラグビーはみんなの助け合いで成り立つスポーツです。その『One for all,All for one』の精神がいいなと思って、ラグビーの魅力にハマってしまいました」
中学時代のポジションは。
「中学1年で164cmほどあったので、ロックをしていました。ただ、体重も80kgほどあったのですが、ラグビーとサッカーを両方していて毎日動き回っていたこともあり、どんどん痩せていって、一時期60kgを割ってしまったんです。このままではラグビーができないと思い、ひたすらご飯を食べて体重を戻して3年からはプロップをするようになりました」
中学3年の時に全国ジュニアラグビー大会に福岡県代表として出場しているんですよね。
「つくしヤングラガーズに入ったことが大きかったと思います。僕らの代は特に強くて、小学生の部で全国制覇を達成していました。そういう強いチームに入って、みんなから教えてもらい、基礎を作ることができました。最初の頃はルールも理解していなくて、それほど試合にも出させてもらえなかったですが、中学3年になり身長も伸びて、体重も戻って、プロップで先発出場できるようになりました。そして、県大会を優勝し、九州大会でも頂点に立って、福岡県代表にも選んでもらえて。もし、ラグビーをはじめたのが、つくしヤングラガーズでなかったら、東福岡高校に進んでいなかったと思います」
高校3年の全国高校ラグビー大会では優秀選手に
大会では、兵庫県ラグビースクール代表だった本橋 拓馬選手や大阪府中学校代表の辻野 隼大選手と対戦しています。
「拓馬のことはよく覚えていますね。当時から大きくて目立っていました。大会では拓馬のチームには勝ったのですが、隼大のいる大阪府代表には負けてしまって…。その時に対戦した選手と神戸Sでチームメイトになるとは思ってもみなかったです」
東福岡高校に入ったのはスカウトをされたからでしょうか。また、試合には1年から出られたのでしょうか。
「福岡県代表に選ばれたことがきっかけで声をかけていただきました。負けず嫌いなので、どうせなら強いところでやりたいという気持ちがあって東福岡高校へ進むことにしたのですが、同期が45人ほどいて、全体の部員数が約150人。最初は一番下のチームで1年の時は公式戦に出られずに終わりました。2年の時に、練習のパフォーマンスが良かったこともあり、春の選抜大会から試合に出られるようになったのですが、その後、入ったばかりの1年生の後輩にポジションを取られてしまったんです。それがめちゃくちゃ悔しくて!ウエイトトレーニングの時間を増やして、毎日朝と夕方1日2回するようになったら、スクラムもタックルも強くなり、花園大会ではメンバーに入ることができました」
つくしヤングラガーズで基礎を作ることができたと言われていましたが、高校時代は宮内選手にとってどういう時期になりましたか。
「ラグビーの応用編を学んで、今の自分のラグビースタイルが身に付いて、ラグビー選手として成長することができた3年間になりました。日本一という目標は達成することはできなかったですが、3年の花園では、3回戦で石見智翠館高校に逆転勝ちし、準々決勝では東海大大阪仰星高校に引き分けて抽選で準決勝に進んで。最終的に拓馬や隼大のいる京都成章高校に敗れましたが、『やり切った』という思いの方が強かったです。それに大会の優秀選手にも選んでいただきましたから。悔いのない3年間を過ごしました」
桜のジャージを目指して邁進する!
大学は、当時Aリーグに昇格したばかりの関西大学へ進みました。
「高校時代、関西出身の選手がいて、関西弁や独特のノリがめちゃくちゃ好きだったんです。関東の大学からも声をかけていただいたのですが、関西の大学に進みたいと思って関西大学に進むことにしました。ただ、1年から試合に出させていただきましたが、これまで中学、高校と日本一を狙うようなチームでプレーしていたので、初めて出場した春季トーナメントの同志社大学戦で19-70という大差で敗れたことは衝撃で…。就職に有利だからと所属している部員もいましたが、3年の時に、神戸SのOBでもある佐藤(貴志)さんが監督に就任してから、チームが大きく変わりました。勝つための練習をして、僕自身ももう一度ラグビーを学べたように思います。4年の時の入替戦では、先制トライを取ったマウ(シオネ・シメ・マウ)には悪いですが、大阪体育大学に最後の最後で逆転し勝つことができて本当に良かったです。4年の時にはバイスキャプテンを務め、これまでのラグビー人生で初めてリーダーを経験してリーダーシップを学ぶことができましたし、大学時代は勝つことの難しさと、勝った時の喜びの大きさを感じた4年間だったと思います」
これから宮内選手はどういう選手になっていきたいですか。
「神戸Sで成長して、子供たちから憧れを持たれ、夢を与えられる選手になりたいですね。それこそ神戸の街を歩いていると、サインをどんどん求められるような、そんなスーパースターになりたいなって。もちろん、やることはたくさんありますし、めちゃくちゃ頑張らないといけないことも理解しています。神戸Sは自分自身を成長させるには最高の環境だと思いますので、日本代表を経験しているような偉大な先輩たちからいろんなことを吸収して、チームで試合に出られるようになって、日本代表に選ばれたい。そして、ラグビーワールドカップに出場したいです」
日本代表入りを目指すと。
「僕の代はコロナの影響で高校日本代表の活動がなかったですし、U20日本代表は候補で終わったので、これまで桜のジャージに袖を通したことがありません。日本代表に選ばれたいという思いが強いですし、なれるように一生懸命努力します!」
では最後にスティールメイツへメッセージをお願いします。
「試合に出たら、セットプレー、ボールキャリー、タックル、すべてを見てください!1日も早くチームに貢献できるよう頑張りますので、スティールメイツの皆様、応援よろしくお願いします」
ほわんとした癒し系な雰囲気を醸し出す宮内選手ですが、実はかなりの負けず嫌い。「チームに関係なく、同じポジションの選手には絶対に負けたくない!」ときっぱり。また、同期のソロモネ・フナキ選手が、チーム内のアーリーエントリーでリーグワン出場第1号になりましたが、「悔しさの方が強いです」とも。経験値の高さが物を言うFW第一列。これから負けん気の強さで多くのことを吸収し、日本を代表するルースヘッドプロップへ。宮内選手のサクセスストーリーは、今、はじまったばかりです。