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ロングインタビュー

2023-24シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.3 船曳 涼太選手

 取材日:2024年2月16日

2023-24シーズン アーリーエントリー選手インタビュー Part.3 船曳 涼太選手

神戸市垂水区出身。小さい頃から神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)の試合を見ていて、赤いジャージに憧れていたという船曳 涼太選手。コベルコ神戸スティーラーズの一員になるという夢を叶えた彼の今後の目標とは。船曳選手を直撃しました。

※アーリーエントリーについて

「すべてにおいて成長し、
チームのトライゲッターに」

WTB

船曳 涼太

RYOTA FUNABIKI

PROFILE
  • 2001年7月15日生まれ(22歳)、兵庫県神戸市出身
  • 経歴:神戸少年ラグビークラブ→神戸市立科学技術高校→京都産業大学
  • ポジション/WTB
  • 身長・体重/178cm・82kg
  • U17日本代表候補

大畑さん、正面さんに憧れていた子供時代

船曳選手がラグビーをはじめたのはいつからなのでしょうか。また、そのきっかけは。

「4歳からです。8歳上に兄がいるのですが、神戸少年ラグビークラブのコーチが、兄の友達のお父さんだったんです。それで兄が最初に誘われて、そのついでに僕も一緒に体験会に参加することになりました。結局、僕の方がラグビーにハマって、僕だけがスクールに入ることになって。ただ、当時のことは小さかったのでまったく覚えていなくて。母からはラグビーはお相撲さんみたいに体をぶつけられるから楽しいと言っていたと聞いています」

神戸市出身ですし、コベルコ神戸スティーラーズの前身である神戸製鋼コベルコスティーラーズの試合は見ていたのでしょうか。

「スクールの友達たちとよく見に行っていて、大畑 大介さんや正面 健司さんが好きでした。大畑さんに関しては、現役を引退された後、テレビ番組の企画でスクールの友達の家に大畑さんが来て一緒にご飯を食べたことがあるんです。確か僕が小学5年の時で、そのことは今でもよく覚えています。正面さんは、柄の入ったヘッドキャップと手袋をつけてプレーされていた姿が印象に残っています」

神戸製鋼コベルコスティーラーズのことを身近に感じていたんですね。

「灘浜グラウンドにもスクールの練習や大会で何度も来たことがあります。それに高校も、神戸製鋼本社から近くて。将来はコベルコスティーラーズでプレーしたいという気持ちがありました」

その夢が叶ったんですね!

「そうですね。こうやってチームの一員になれて嬉しく思います」

神戸少年ラグビークラブではいつまでプレーしていたのでしょうか。

「中学卒業まで神戸少年ラグビークラブでプレーしていました。中学にはラグビー部がなかったので、バスケットボール部に入ったんです。兄がバスケットボール部だったので、お下がりのユニフォームがあったこととバスケットボールはフットワークをラグビーに活かすことができるかなと思って。それで平日はバスケットボールをして、週末は神戸少年ラグビークラブでラグビーをしていました」

ポジションの変遷を教えてください。

「中学生の頃はセンターでプレーしていて、高校はスタンドオフ、フルバックでした。大学に入ってからフルバックやウイングでプレーするようになりました」

持ち味であるスピードを買われて大学1年から試合出場

兵庫県のラグビー強豪校といえば報徳学園高校や関西学院高校ですが、神戸市立科学技術高校へ進んだんですよね。

「ラグビースクールの監督と、高校のラグビー部の監督が兄弟ということもあり、小学生の頃から教えてもらっていたんです。個人的にも平日に高校の練習に参加させていただき、先輩たちから可愛がってもらっていました。憧れの先輩もいましたし、進学先は神戸市立科学技術高校しか考えられなかった。ここで報徳学園や関西学院を倒して花園へ行こうと思い、3年間、練習を積んできました。高校2年の時に、兵庫県予選準決勝で関西学院に勝利し、決勝へ進むことができたのですが、最終的に報徳学園に敗れて。結果的に3年間で花園出場という目標は達成できなかったですが、関西学院に勝つことができましたし、良い3年間を過ごすことができました」

高校の練習は厳しかったのでしょうか。

「厳しいと思っていたんですけど、大学に比べるとそれほどでした(苦笑)」

高校卒業後は練習が厳しいことで知られる京都産業大学へ。どういう思いからなのでしょうか。

「高校3年の時に、当時京都産業大学でコーチされていた伊藤 鐘史さんから声をかけていただきました。スピードあるラグビーをしていくと言われて、直感的に面白そうだなと感じて。練習は確かに厳しかったですが、そのお陰で持ち味であるスピードがさらに伸びて、京都産業大学に進んで良かったと心から思います」

大学1年から試合に出ていたんですよね。

「1年の時は入寮してすぐに新型コロナ感染者が出て、一旦実家へ帰ることになりました。8月まで神戸で自主トレーニングをして、その後、京都に戻り2ヶ月ほどチームで練習して関西リーグがはじまったんですが、まさか自分が試合に出られるとはまったく思っていなかったです。けど、監督をされていた鐘史さんがスピードを高く評価してくださって交流戦からフルバックで出ることができました。1年の時は納得のいくようなプレーはできなかったのですが、次につながる経験を積むことができました」

2年の時はどうでしたか。

「2年の時はほぼ全試合に出場しました。大学選手権準々決勝日本大学戦ではトライやトライにつながるプレーもあり、準決勝帝京大学戦でも負けましたが、個人的には手応えを感じることできて。次のシーズンはもっと活躍してチームに貢献しようと思っていました。けど、3年の時、春季トーナメント準決勝立命館大学戦で左足の怪我をしてしまって…」

辛い経験をバネに神戸Sでレギュラー獲得を目指す

3年、4年と試合に出場していないですよね。

「その時の怪我の影響です。3年は肉離れをして3ヶ月戦列を離れていて、立命館大学戦が復帰戦でした。そこで怪我をし、手術することになって。2年の時の大学選手権で手応えを感じていただけに、3年の時の怪我はショックでした。結局怪我で2シーズンを棒に振ることになってしまって、辛かったですし悔しさが残ります」

そんな大怪我があったんですね。

「4歳からラグビーをはじめて、2年間も試合をしなかったのは初めてのことです。実はまだリハビリ中なので、早く完全な状態に戻してグラウンドに復帰したいです。そして、この悔しい経験をプラスに捉えて、怪我があったから成長できたと思えるようにしていきたいです」

2年間の思いを神戸スティーラーズでぶつけて、ぜひ活躍してほしいです。どういう選手になっていきたいですか。

「持ち味であるスピードをいかしてトライを取る。チームのトライゲッターになっていきたいと思います。同じ大学の先輩である(山下)楽平さんや同じポジションの先輩のプレーを見て、動きなどを学んで、先輩たちを超えていきたい。もちろん、そうなるにはやるべきことは多いです。練習を見ていて、まず先輩たちの基本スキルの高さに驚きました。大学時代にハンドリング練習をあまりしてこなかったので、これから身に付けていかないといけませんし、ディフェンスは課題でもあるので、レベルアップしないと。フィジカルに関しても強化しないといけません。すべてにおいてひと回りもふた回りもレベルアップさせていきます」

試合に出たら、Steel Matesにどういうところに注目してほしいでしょうか。

「スピードには自信があります!スピードをいかした走りでトライを取るので、皆さんにそういう姿をたくさん見せられるように頑張ります」

現時点での目標を教えてください。

「2年間試合に出ていないので、まずは試合に出ることが目標です!1日も早く試合に出られるようにしたいです」

楽しみにしていますね。では最後にSteel Matesの皆様へメッセージをお願いします。

「チームでは『ビッキー』『ビキ』と呼ばれています。ルーキーらしく元気にひたむきに頑張りますので、これからどうぞ応援よろしくお願いします」

同期の伊藤 大祐選手とは、高校時代にU17日本代表候補合宿で一緒になり、同部屋だったそう。「ダイスケは当時から上手かったです。一緒のチームになることがわかった時は、すぐにLINEでメッセージを送りました。ダイスケはフルバック、スタンドオフ、ワッキー(森脇 光)はプロップですし、同期は3人ともポジションが違うので、いつか一緒に試合に出たいですね」と笑顔を見せていました。怪我の影響で、現在リハビリ中ですが、近い将来、自慢のスピードでトライを量産し、チームに貢献してくれるに違いありません。ビッキーの今後の活躍にどうぞご期待ください。

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