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ロングインタビュー

2022年度退団選手インタビュー Part.5 前川 鐘平

2022年度退団選手インタビュー Part.5 前川 鐘平

前川 鐘平

SHOHEI MAEKAWA

鍛え抜かれた鋼の肉体から繰り出す激しいプレーで、入団1年目から試合に出場し、2017年シーズンにはキャプテンに就任。2018年にはアンドリュー・エリス選手(現・アドバイザー)と共同キャプテンを務め、チームを15年ぶりの優勝に導きました。ここ数年は怪我が続き、なかなか出番に恵まれず、100試合を目前にしながら、肉体的に限界を感じてユニフォームを脱ぐことに。現役最後のプレーは、まさかのレッドカードとなり、「相手選手やチームメイトに申し訳なかったです」と頭を下げ、怪我がちな自分に「もう無理するなよ」と楕円球の神様から引導を渡されたのかなとも。「ラグビーをやり切りました!」と清々しい表情を見せる前川選手が、神戸スティーラーズでの12シーズンを振り返ります。(取材日:2023年5月11日)

PROFILE
  • 生年月日/1988年9月8日
  • 出身地/大阪府大阪市
  • 経歴/大阪市立茨田北中学→東海大学付属仰星高校(現・東海大学付属大阪仰星高校)→東海大学→コベルコ神戸スティーラーズ(2011年度入団)
  • ポジション/FL
  • 2022–23シーズンまでのチームでの公式戦出場回数/97

「うまくなりたい」その一心で頑張ってきた12シーズン、
これからは1ファンとしてチームを応援します。

12シーズン、お疲れ様でした。スティーラーズキャップ97と、100試合出場達成まで、あと3試合というところでの引退となりました。

「100試合は、1つの目標ではあったので、残念に思いますが、『やり切った』という思いの方が強いです。それに、DC(ダン・カーター)をはじめ、外国人だけでなく、日本人も才能あふれる選手ばかりで、すごい人たちとラグビーができて、充実した12シーズンを送ることができました」

現役最後の試合は、第16節横浜キヤノンイーグルス戦でしたね。

「現役最後のプレーが、レッドカードをもらうことになってしまって…。相手選手に申し訳なかったですし、ジュニア(橋本 皓)やチームメイトにも済まないと思いました。人生初のレッドカードが、現役最後の試合で出てしまって、『もう無理するなよ』とラグビーの神様に言われているのかなと思いましたね」

第16節は、一緒に早朝トレーニングをしてきた仲である山下 裕史選手の公式戦200試合出場達成という記念すべき試合でした。

「ヤンブーさんには試合後『後半から出場して、レッドカードはありえへんやろう』と怒られました(苦笑)。ヤンブーさんの記念の試合でレッドカード。現役最後の試合は複雑な気持ちで終わりましたね」

4月28日、旧クラブハウスで行われた記者会見で怪我が重なったこともあり、肉体的な面で限界を感じ、引退を決意されたと言われていました。

「ここ数シーズン、年に1度は大きな肉離れを起こし、数ヶ月間リハビリをして復帰ということを繰り返していました。肉体的にきつくなってきたというのが引退を決めた理由です。もう痛みを我慢したり、筋肉量や体重を維持したりしなくていいのかと思うと、今はすごく気が楽になりました」

それだけハードなトレーニングを積んできたんですね。前川選手のモチベーションとはいったい何だったのでしょうか。

「ラグビーをはじめた12歳のときから『うまくなりたい』『強くなり』と常に思いながら練習に励んできました。その一心で練習し、神戸スティーラーズに入り、気が付いたら12年間が経っていたという感じです」

改めて12年前、神戸スティーラーズに入団したのは、どういう理由からだったのでしょうか。

「高校大学の同期である(木津)武士が、一緒に神戸スティーラーズに入ろうと言ったことも理由の1つです。あとはグラウンドやトレーニングルームなど施設も整っていますし、ラグビー部の活動に対して会社のサポートも手厚いと感じられたことも大きかったです。ただ、大学3年までほとんど試合に出ていなかったですし、体のサイズもないので、トップリーグで活躍するのは難しいかなと思っていて…。それが、1年目から試合に出られて、当時ヘッドコーチを務めていた苑田(右二)さんには感謝しています」

入団1年目は4試合の先発を含む、5試合に出場しました。

「FW第3列には、橋本(大輝)さん、ジョシュ(・ブラッキー)、(谷口)到さんなど、能力の高い選手がたくさんいて、その中で1年目から試合に出られたことは自信になりました。もし、そこで試合に出られていなかったら、早い時期に引退することになっていたんじゃないかなと思います」

2年目にはポジションを獲得し、15試合に出場、3年目には公式戦全試合に出場しました。先ほど名前を挙げられたような選手に“追いつけ、追い越せ”という思いで練習に励んできたのでしょうか。

「橋本(大)さんは日本一のフランカーですし、到さんは身体能力がすごい。同じようなことはできないので、自分のプレーを追求しました。自分の場所は自分で作らないといけません。試合に出るために、ほかの選手との違いを出して、コーチ陣にアピールしたり、チームメイトから信頼を勝ち取ろうと努力してきました」

2014年春には山中 亮平選手とともに、チームから初めてチーフスへ派遣されました。

「懐かしいですね。印象深い出来事の1つです。ウェイン(・スミス)がチーフスでアシスタントコーチを務めていて、ブレイクダウンではサポートはこうしないといけないとか、センターとコミュニケーションを取るようにとか、細かいことを指導してもらったことをよく覚えています。あと、当時20歳前半だったガズラ(ブロディ・レタリック)がチームの中心となり、ラインアウトのサインなどを決めていました。選手主導でチームを作っている様子を見て、学びも多かったですし、刺激を受けました」

12シーズンを振り返った時に、ターニングポイントというのは?

「ヘッドコーチが苑田さんからギャリー(・ゴールド)に代わり、その翌シーズンはアリスター(・クッツェー)から指導を受けるようになりました。ヘッドコーチが1年ごとに代わりましたが、チームは結束力が出てきて、雰囲気も良かった。僕自身、それまでは自分のことに必死だったのですが、年齢を重ねて余裕が出てきて、チームのためにプレーしようと気持ちが変わってきたのが、その頃からでした。もう1つは、2016年シーズン、前十字靭帯を断裂したことです。夏合宿中の試合で怪我をしてしまったんですが、今でも、その瞬間のことを覚えています。復帰までに約10ヶ月かかり、シーズンを棒に振ることになりました。それから怪我の影響もあり、納得のいくプレーができなくなってきて。あの怪我は1つのターニングポイントだったのかなと思います」

前十字靭帯断裂から復帰後、2017年シーズン、キャプテンに就任しました。打診を受けた時の心境を教えてください。

「『僕ですか!』と驚きましたが、神戸スティーラーズのキャプテンは誰もが経験できることではないので、やってみようと思い、引き受けました。とはいえ、キャプテンとして何か特別なことをしたわけではありません。いつも通り一生懸命プレーするだけでした」

アンドリュー・エリス選手(現・アドバイザー)と共同キャプテンを務めた2018年シーズンの優勝というのは、前川選手にとってどうでしたか?

「もちろん嬉しかったのですが、2018年シーズンは、ほとんど試合に出ていなくて。決勝戦も出させてもらったという感覚でした(苦笑)」

前川選手が一番印象に残っている試合というのは?

「入団1年目に初めて出場した公式戦(『トップリーグ2011–12』第2節)です。近鉄ライナーズ(現・花園近鉄ライナーズ)との試合なのですが、最初の話に戻りますが、試合に出られるとは思っていなかったので、とても印象に残っていますね」

前川選手にとってベストシーズンは?

「ベストシーズンはないですね。ずっと『うまくなりたい』『強くなりたい』という気持ちで練習していたので、ベストがないんです。だから12シーズンも続けることができたのかなと。ただ、ここ数シーズンは、怪我があって、上手くなりたいけれど、頑張れないというシーズンが続きました」

先ほどターニングポイントにも挙げていましたが、怪我の影響は大きかったのですね。

「そうですね。けど、幸い再断裂もなく、ドクターをはじめ、メディカルスタッフ、S&Cスタッフには大変お世話になりました。朝5時にクラブハウスに行き、リハビリを受けていた時期もありました。早朝リハビリに付き合ってくれたトレーナーの五明(浩一郎)さん、今はチームを退任されていますが、爪川(慶彦)さんには感謝しかないです。スタッフのサポートのお陰で復帰ができ、12シーズンもプレーすることができました」

納会の時に行われた退団選手の挨拶で、山中選手からジャージを贈呈され、目を潤ませていたのが印象的でした。どういう涙だったのでしょうか?

「山ちゃんの顔を見た瞬間、チームを去るんだな、ラグビーを辞めるんだなと、実感が湧いてきて、自然と涙が出てきました。高校、神戸スティーラーズで一緒にプレーしてきた山ちゃんには、これからも頑張ってほしいです。日本代表として、オールブラックスと対戦したり、ラグビーワールドカップに出場したり、僕がラグビーをはじめた頃には想像できなかったような世界でプレーしていて、同期であり、チームメイトなのですが、違う世界の人のようで(笑)。これからも僕は山ちゃんの一番のファンであり続けようと思います」

今シーズン、チームは9位という結果に終わりましたが、今後、チームに期待することは?

「強いチームであり続けてほしいと思います。優勝したシーズンは社内でラグビーの話題が多かったのですが、今シーズンは、部署の方も気を使って、ラグビーのことに触れなくて…。来シーズンからは、また社内でもどんどんラグビーの話ができるよう、強さを取り戻してほしいです」

今後は社業に専念されるのでしょうか。

「そうです。若かった頃は、うまくなるために、ラグビーに専念したいと思い、プロ選手になろうかと考えた時期もあったのですが、平尾(誠二)さんから『社員選手の見本として頑張ってほしい』と言われて。それに、部署の方々も応援してくれていたので、そのまま社員選手としてラグビーを続けてきました」

2018年シーズンの優勝を経験している前川選手から見て、今シーズンは、どういう部分が欠けていたと思いますか。

「2018年シーズンのようなラグビーを目指していたのですが、詳細の落とし込みが足りなかったように思います。来シーズンはどういうラグビーをするのかわからないですが、細かいところを突き詰めて、全員が同じ絵を見られるようにしてほしいですね」

チームメイトにメッセージをお願いします。

「社内で『また勝ちましたね』と言われるようになってほしいですね。強くなるには、いろいろなことが必要ですが、まず選手がもっとチームのために行動できるようにならないといけないのかなと思います。もちろん、若い選手は自分のことで精一杯だと思うので、少し年齢を重ねて経験を積んだ選手がチームを引っ張っていってほしいです。これからは1ファンとしてチームを応援しますので、優勝を目指して頑張ってください」

12シーズンの間には、Steel Matesとの思い出もたくさんあると思います。Steel Matesとの思い出を教えてください。

「トップリーグ時代は、メンバー外の選手がチームブースに立って、グッズを販売したり、応援パンフレットを配布したりして、そこでファンの方々と交流したことも良い思い出です。コベルコラグビーフェスティバルやファンクラブイベントなども楽しかった。直近では、今シーズンの『Steel Mates感謝祭』は、コロナ以前のスタイルに戻って、ファンの皆様との距離が近くなり、こんなにも応援されているんだなと改めて感じることができました」

では最後にSteel Matesへメッセージをお願いします。

「チームの状態が良い時も悪い時も、変わらず熱い応援を送っていただきありがとうございました。また僕個人に対しても、試合に出ていても出ていなくても、あたたかい声をかけていただき、感謝しています。その声に励まされていました。今後は皆様と一緒にスタジアムでチームを応援していきます。引き続き、神戸スティーラーズの応援よろしくお願いします」

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