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ロングインタビュー

2022年度新加入選手インタビュー Part.4 クイントン・マヒナ選手

 取材日:2022年8月18日

2022年度新加入選手インタビュー Part.4 クイントン・マヒナ選手

トンガ人の母が和歌山・白浜生まれということもあり、日本に対し親近感を抱いていたというマヒナ選手。18歳で来日し、拓殖大学ではバイスキャプテンを務めていました。スタンドオフ、センターでのプレー経験があり、スティーラーズに入団後は、ウイングでの出場も見据えて準備を着々と進めているそう。花園近鉄ライナーズに所属する弟、ネスタ選手との兄弟対決も楽しみな、マヒナ選手のこれまでとこれからとは。

「チームメイトやコーチ陣から信頼される選手になって スティーラーズのレガシーの一部になれるよう頑張ります!」

クイントン・マヒナ

QUINTON MAHINA

PROFILE
  • 1999年4月29日生まれ(23歳)、オーストラリア・ブリスベン出身
  • ブリスベン州立高校→拓殖大学
  • ポジション/UTB
  • 身長・体重/174cm・91kg

ラグビー人生の転機は7人制日本代表合宿への参加

スティーラーズにはいつ合流したんですか?

「今年1月です。みんな、優しくて、サポートしてくれて、とてもありがたいです。練習はきつくて大変ですが、毎日が充実しています」

昨シーズン、花園近鉄ライナーズに入団したネスタ・マヒナ選手は、1歳下の弟なんですね。

「そうなんです。神戸と大阪、近いので、時々会っています」

ネスタ選手はフッカー。体がすごく大きいですね。

「7人兄弟で、僕の下に弟が5人、妹が1人います。5人の弟たちはラグビーをしているんですが、全員フロントローなんです!僕はスクラムを組みたくなかったので、ラグビーをはじめた頃から太らないように一生懸命走って、バックスでプレーできるよう気をつけていました」

マヒナ選手がラグビーをはじめた年齢ときっかけを教えてください。

「ラグビーをはじめたのは10歳からです。家の近くにボクシングジムがあり、子どもは無料で参加できたので、最初はボクシングをやりたかったんです。だけど、母に反対されて、周りの友達がラグビーをしていたことや父も高校までプレーしていたこともあり、ラグビーをすることになりました。ラグビーをはじめたら、楽しくて、すぐにハマってしまって(笑)。ボクシングではなく、ラグビーをはじめて良かったです。ボクシングをすることに反対した母には感謝しています!」

子どもの頃はオーストラリア代表になることが目標だったのでしょうか。

「常に目の前の試合に一生懸命だったので、あまり将来のことを考えていなくて、『オーストラリア代表になりたい』とも思っていなかったです。特に高校時代は、キャプテンをしていたので、大会で優勝することだけに集中していました。大会に優勝しホッとした後、自分の将来のことを考えるようになって、ラグビーリーグにも挑戦しました。そんな時に、7人制日本代表がオーストラリアで合宿することを聞いたんです。僕の祖父は昔、和歌山で仕事をしていて、母は白浜生まれ。母は4歳まで和歌山に住んでいて、その後、祖父母と一緒にトンガに帰ったんです。祖父母もトンガ人ですが、そういうバックボーンがあったので、日本に親近感がありました。それで、エージェントを通じて、7人制日本代表の合宿に参加させてもらえることになったんです」

オーストラリアで行われた7人制日本代表の合宿に参加したんですか。

「それが僕のラグビー人生の大きなターニングポイントになりました。日本のラグビーはスピードが速くて、プレーしていて楽しくて。日本でラグビーがしたいと思ったんです。合宿に参加した際、同部屋だったのが、拓殖大学の先輩だったことが縁になって、日本に行くことに決めました」

桜のジャージを着て、ワールドカップに出場したい

高校時代、キャプテンを務めていたんですね。どういう風にチームを率いていたんですか。

「才能あるチームメイトばかりだったので、僕はオンフォールド、オフフィールドで自分のすべきことをやるだけでした。みんな、僕についてきてくれて、目標としていた大会に優勝することができました。高校の時のチームメイトには、ワラビーズのジョーダン・ペタイアや花園近鉄ライナーズのパトリック・タファ、今シーズンNTTドコモレッドハリケーンズ大阪に加入したジョシュ・フェナーがいます。ほかにもヨーロッパで活躍している選手がいるなど、チームメイトに恵まれていました」

錚々たるメンバーだったんですね。マヒナ選手は、拓殖大学でもバイスキャプテンを務めていましたね。

「キャプテンがアメリカ生まれだったこともあり、英語が話せたことが大きかったです。彼が僕の言いたいことを日本語に訳してくれて、僕はそれほど苦労しなかったです。実は、大学時代は、1年から試合に出させてもらっていたんですが、2年の時に膝の怪我をし、2度手術をしたんです。復帰できたのは、3年のリーグ戦終盤でした。2年間、怪我で苦しみましたが、リハビリの成果もあって4年の時はコンディションも良くて、バイスキャプテンとして誰よりも高いスタンダードで試合に臨もうと思いました。実際にパフォーマンスも良くて、満足のいく1年になりましたね。それに、それまではどちらかというとディフェンシブな選手だったのですが、4年の時に、ボールキャリーやキックといったアタックが得意になり、トライもするようになって。さらにラグビーが面白くなりましたし、上のレベルでプレーしたいと思うようになりました

そうして、今年4月からコベルコ神戸スティーラーズの一員になりました。

「子どもの頃から憧れていたダン・カーター選手がスティーラーズに入団したシーズン、よく試合を見ていたんです。トップリーグで優勝もしましたし、強いチームだなって。そのチームの一員になっていることが今でも信じられないですし、とても誇らしく思います」

今後、どういう選手になっていきたいですか。

「ティム(ラファエレ ティモシー)のことをとても尊敬しています。彼は、プレーだけでなく、練習に取り組む姿勢も素晴らしい。それに、ティムも僕と同じで大学時代、2部リーグでプレーしていました。また、これまでには伸び悩んだ時期があったそうです。だけど、努力し、チャンスを掴み取って、日本代表としてラグビーワールドカップに出場し、スティーラーズでも活躍しています。僕も彼のようにチャンスを得て、結果につなげたいと思います」

ラファエレ選手のように、いつか日本代表としてラグビーワールドカップに出場したいと。

「もちろんです!桜のジャージを着て、ワールドカップに出ることが、ラグビー選手としての最終的なゴールです」

試合に出たらボールキャリーに注目を!

マヒナ選手は、複数のポジションができますが、好きなポジションはあるのでしょうか。

「高校、大学時代は、スタンドオフ、センターでプレーしていました。センターが自分に合っていると思うのですが、やっていて楽しいのはスタンドオフですね。今はウイングで練習することも多くて、1対1の駆け引きに面白さを感じています。センターでも、スタンドオフでも、ウイングでも、試合に出られるなら、こだわりはありません。コーチ陣から言われたポジションで全力を尽くすだけです」

今シーズンの目標は?

「試合に出場することが目標です。練習から良いパフォーマンスをして、チームメイトやコーチ陣から信頼される選手になって、試合で起用したいと思ってもらえるようにならないといけません。そして、長年、スティーラーズでプレーして、チームのレガシーの一部になれるように頑張ります」

試合に出たら、ファンの皆様にどういうプレーを見てほしいですか。

「タックルも得意ですが、ボールキャリーに注目してください!」

では最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。

「ニックネームは『Q』です。子ども頃からずっとそう呼ばれているので、ファンの皆様もぜひ『Q』と声をかけてください。5月に行われた『Steel Mates感謝祭』では、ファンの皆様に直接お会いし、スティーラーズがどれほど熱いサポートを受けているのかを感じることができました。チームに貢献できるよう頑張りますので、これから応援よろしくお願いします」

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