取材日:2021年5月26日
退部選手インタビュー part.1 沢居寛也選手/長崎健太郎選手
沢居 寛也
HIROYA SAWAI
PROFILE
- 1990年7月18日生まれ、青森県三沢市出身
- 三沢商業高校→立命館大学→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(2013年度入部)
- ポジション/PR
- 2020−2021シーズンまでの公式戦出場回数/18
8年間、超えられない壁だったヤンブーさん 素晴らしいお手本と一緒にラグビーができ幸せでした。
8年間を振り返って思い出されることはなんですか?
「いろいろなことがありましたが、一番はヤンブーさん(山下裕史)との朝練です。ヤンブーさんから誘っていただいて、数年前から一緒にトレーニングをさせていただいていました。そのトレーニングのお陰でコンディションが良くなったように思います」
同じポジションでライバルである山下(裕)選手との朝練について具体的に教えてください。
「ライバルなんてとんでもないです!ヤンブーさんとの朝練では朝6時半頃にクラブハウスに集まり、グラウンドでサーキットトレーニングをしていました。20分から30分間、ずっと動きっぱなしなのでフィットネスが上がりました。ヤンブーさんには感謝してもしきれないです」
沢居選手にとって山下選手はどういう存在ですか?
「ヤンブーさんの背中を追いかけ続けた8年間でした。スクラムだけは負けられないとプライドを賭けてヤンブーさんに挑み続けましたが、ヤンブーさんは僕にとって超えられない大きな壁でした」
ラグビーへの取り組み方や姿勢などで影響を受けた選手というのも、やはり…。
「もちろん、ヤンブーさんです!シーズンが終わったばかりですが、ヤンブーさんはもうすでに来シーズンに向けてトレーニングを開始しています。自分に厳しいですし、オフでも週6日で朝練をしているんです。35歳という年齢まで試合に出続けていることもすごいですし、怪我をしないところもすごい!ヤンブーさんという素晴らしいお手本と一緒にラグビーに取り組めて幸せでした」
フロントローは仲が良くて、フロントロー会があったんですよね。
「そうです。ヤンブーさんがみんなに声をかけてフロントロー全員で餃子を食べに行ったり、肉を食べに行ったりしていました。それも楽しかったですね。フロントロー会は神戸の良い文化だと思うので、今後も続けてほしいです」
これまで公式戦18試合に出場されました。もっとも印象に残っている試合を教えてください。
「ファーストキャップを取った試合は印象深いですね。入部1年目の『ジャパンラグビー トップリーグ2013−2014』2ndステージ第3節トヨタ自動車戦なのですが、ラスト3分(公式記録では後半35分)から出場し、まさにウルトラマンのような気分で全力を出し切ろうと思ってグラウンドに入りました。スクラムでもボールが出た後、すぐに走って爪痕を残してやろうと気合いが入っていたんですが、試合終了のホーンが鳴った後もプレーが続き、結局、10分以上グラウンドにいたんじゃないかな。予想外の展開で終わった後は、まさに疲労困ぱいでした(苦笑)。あと、2015−2016シーズンの『プレシーズンリーグ2015』カップ決勝サントリー戦は、8年間で一番印象に残っている試合です。高校、大学を通じて、初めてタイトルを取ることができました。もちろん、2018−2019シーズンのトップリーグ優勝も嬉しかったのですが、自分が試合に出て勝ち取ったタイトルですので、感慨もひとしおでした」
試合以外で印象に残っていることは?
「2015−2016シーズンは春から調子が良くて、『プレシーズンリーグ2015』にも出させてもらって、トップリーグでも出場のチャンスがあるとモチベーション高く取り組んでいたのですが、開幕1週間前のスクラム練習で肉離れを起こしてしまったんです。しかも、完治まで3ヶ月かかると診断されて、結局シーズンを棒に振ってしまいました。シーズン終了後、平尾さんに呼ばれて、引退を覚悟したんですが、チーフスへのラグビー研修の話だったんです!3ヶ月間、ラグビーに集中できる環境を与えていただき、チームや会社には感謝しています。ほかにも、ラジオ番組や女と男さんが司会を務めるラインライブなどに出させていただいて、なかなか普通では経験できないことをさせてもらったことも良い思い出です」
今後は社業に専念されるのでしょうか?
「スーパーラグビーのチームからオファーが来るかなと思っていたんですけどね(笑)。素晴らしい環境を与えてくれた会社に恩返しするためにも、これからは社業を頑張ります!そして、チームを応援していきたいと思います」
チームに期待することは?
「15年ぶりにトップリーグ優勝を達成した時は、部署の方々もとても喜んでくれて、会社自体がとても盛り上がりました。今シーズンは残念な結果に終わりましたが、新リーグではぜひ王座奪還をしてほしいと思います!」
では最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。
「試合に出ているわけでもないのに名前を覚えていただき嬉しかったです。チームブースやイベントでファンの方々と交流できたことも良い思い出です。ファンの方々に喜んでいただきたい一心で頑張ってきました。僕は退部しますが、これからもコベルコスティーラーズを応援よろしくお願いします!
長崎 健太郎
KENTARO NAGASAKI
PROFILE
- 1991年8月6日生まれ、大阪府松原市出身
- 堺ラグビースクール→尾道高校→大阪体育大学→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(2014年度入部)
- ポジション/HO
- 2020−2021シーズンまでの公式戦出場回数/18
日本人選手も外国人選手もレベルが高くて 必死で食らいついていった7年間でした。
コベルコスティーラーズに所属した7年間はどうでしたか?
「テレビで見ていたような有名選手ばかりで、日本人選手も外国人選手もレベルが高い。僕はほかの選手と比べると体が大きいわけではないですし、身体能力がずば抜けているわけでもない。努力し続けるしかないと思い、オフでも2日以上開けないようにこだわりを持ってトレーニングをするなど、必死に食らいついていった7年間でした」
7年間の中でもっとも印象に残っているシーズンを教えてください。
「入部2年目の2015−2016シーズンが印象深いです。コーチ陣から夏合宿のMVPに選んでもらい、『プレシーズンリーグ2015』もずっと先発で出場し、充実した1年になりました」
印象に残る試合というのは?
「良い意味と良くない意味とで2試合あります。良い方は、『プレシーズンリーグ2015』カップ決勝サントリー戦です。沢居さん、(勝木)来幸、僕が1列目だったのですが、スクラムも安定していて、モールからトライを決めることができました。勝って優勝することができましたし、しかも初めてマンオブザマッチに選ばれたんです。あの試合は本当に嬉しかったですね。良くない方は、『ジャパンラグビートップリーグ2015−2016』LIXIL CUP準決勝パナソニック戦です。トイメンの堀江(翔太)さんを意識し過ぎてしまって、自分のプレーができずに終わってしまいました。試合にも敗れてチームに迷惑をかけてしまった…。ミスを恐れずにもっと積極的にプレーすれば良かったと悔いが残る試合になりました」
2018−2019シーズンの優勝はどうだったのでしょうか?
「会社にとって大きな優勝だったと思います。選手が会社の歴史を学んだり、OBの方々の話を聞いたりして、会社への愛着が深くなりました。僕自身、社員選手で『会社のために』と常に思っていましたが、そこまで深く考えていませんでした。このような機会を与えてくれたウェイン(・スミス総監督)には感謝しています。また、2003–2004シーズンから始まったトップリーグで優勝したことがあるのは、神戸製鋼、東芝、サントリー、パナソニックと4チームだけです。トップリーグで優勝することの難しさを痛感し、それと同時に改めて偉大なことを成し遂げたんだと思いました。そういうチームでプレーしていたことに誇りを持って、これから社業に邁進します」
試合以外に印象に残っていることとは?
「平尾(誠二)さんに話しかけてもらったことですね。プレー面でのアドバイスだけでなく、プライベートの面では『もっと遊べ』と言ってもらいました。『殻を破れ』と言っていただいていると解釈し、政治をはじめ、さまざまな分野に興味を持つようにしました。平尾さんの『もっと遊べ』という言葉はすごく印象に残っています」
ラグビーへの取り組み方や姿勢などで影響を受けた選手はいるのでしょうか?
「すごいなと思う選手はたくさんいました。ですが、彼らとは能力なども違うので真似をするというよりは自分なりの形で努力をしてきました。自分としては日々のケアを入念にし、自分ではどうすることもできない状況でのみトレーナーの治療をうけようと努めてきました。自慢ではないですが、この7年間でトレーナーにお世話になった回数はチームで一番少ないと思います」
チームに期待することとは?
「ラグビーだけでなく、オフフィールドでも日本一のチームになっていってほしいと思います。会社や地域の皆様、ファンの方々が誇りに思えるようなチームであり続けてください」
では最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。
「7年間、応援ありがとうございました。『けんたろう』『けんちゃん』と親しく声をかけてもらったことが嬉しかったですし、力になっていました。コベルコスティーラーズは魅力あるチームであり続けますので、これからも応援よろしくお願いします!」