close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

2020年度新加入選手インタビュー Part.1 松岡賢太選手&粥塚諒選手

 取材日:2020年4月21日

2020年度新加入選手インタビュー Part.1 松岡賢太選手&粥塚諒選手

2020年度新加入選手インタビューをお届けします!

第1弾は、前回のジュニア・ジャパン「ワールドラグビー パシフィック・チャレンジ2020」初優勝トークで日下太平選手からそのキャラクターを『ザ・関西人』と表現された「けんてぃー」こと明治大学出身の松岡賢太選手と流通経済大学出身の「かゆ」こと粥塚諒選手が登場!

電話取材を通じて、期待の新戦力にこれまでのラグビー人生や今後の目標などを聞きました。

フレッシュに、積極的に取り組んで1年目からスタメン獲得を狙う!

松岡 賢太

Kenta Matsuoka

PROFILE
  • 1997年6月6日生まれ(22歳)、大阪府吹田市出身
  • 吹田ラグビースクール→京都成章高校→明治大学
  • ポジション/HO
  • 身長・体重/175cm・99kg
  • 代表歴:高校日本代表、ジュニア・ジャパン
重一生選手と同じ吹田ラグビースクール出身なんですよね。

「そうです。小学3年の時に兄と一緒に野球チームと吹田ラグビースクールの両方を見学しに行き、兄がラグビーを選んだので、そのまま兄と一緒に入部させられました。当時はラグビーという競技を知らなかったですし、学校の友達とサッカーをやっている方が楽しかったので、両親に『辞めたい』と直談判したんですが、辞めさせてくれなくてイヤイヤ通っていました」

ラグビーすることが楽しくなったのは?

「中学2年の時にコーチから大阪府スクール選抜の選考会に参加してみないかと言われたんです。気は進まなかったのですが、コーチから『絶対に選ばれるから』と太鼓判を押されて参加し、メンバーに入ることができました。大阪府スクール選抜はどの選手も上手くて、レベルが高い。そういう環境でラグビーをすることで楽しくなってきて、中学3年の時は全国優勝も達成することができました。大阪府スクール選抜に選ばれたことは1つの転機になりましたね」

京都成章高校に進んだのは?

「兄は広島にある尾道高校に進んだので、尾道も考えましたが、声をかけてもらった学校の中で京都成章が一番楽しそうに練習をしていたんです。それで京都成章に行くことに決めました」

試合にはいつから出るようになったのでしょうか?

「中学の時はLOやNo.8でプレーしていて、高校1年は出たり出なかったりという感じだったんですが、2年の時に監督の湯浅(航平)先生からHOへのコンバートを勧められたんです。僕はそれほど身長が高いわけではないですし、将来のことを考えたら、HOをすべきだと、それでHOに転向し、2年から試合にも出させてもらうようになりました」

スクラムやラインアウトのスローイングの技術を習得するのに苦労したのではないでしょうか?

「スクラムよりもスローイングが大変でした。ただ、2年の時はPRの先輩が僕の代わりにスローイングをしてくれていたので、スクラムさえ頑張ればいいという感じだったんですが、3年になって両方しないといけなくなり、とても苦労しました」

それでも試合に出ることができていたんですよね。

「フィールドプレーが得意だったので、そこを評価されていたと思います。HOにコンバートしたことは僕のラグビー人生において大きなターニングポイントになりました。もしHOをしていなかったら、憧れていた明治大学だけでなく、コベルコスティーラーズにも入ることができなかったと思います」

明治大学に憧れていたんですね。

「父親が明治大学のファンだったので、その影響で僕も紫紺のジャージに憧れを抱くようになりました。なので、大学は明治しか考えられなかったですね。希望通り明治に進むことができましたし、そこまでは順風満帆だったんですが、大学で"壁"にぶち当たりました」

というのは?

「高校日本代表にも選ばれていましたし、1年からレギュラー獲得を目標に自信を持ってラグビー部に入ったんですが、大学ではセットプレーを重視していて、スローイングが安定していないと試合に出られない。僕はスローイングが大の苦手だったので、そこで同期の武井日向がチャンスを掴んで試合に出るようになった。もちろん、武井だけでなく、セットプレーを得意とする先輩もいて、1年、2年の時はほとんど試合に出られずに終わってしまいました。同期が活躍している中で焦りもあり、2年間はずっと自分の置かれた環境にイライラしていましたね」

変わるきっかけはなんだったのでしょうか?

「2年から3年に上がる時に、FWコーチとの面談で、武井を意識過ぎだと指摘されたんです。『どうして武井が試合に出ているんだ』というイライラした気持ちがそのままプレーに出ていると言われて...。他人にベクトルを向けるのではなく、自分に向けて、理想のHOになるための努力をするようアドバイスをいただきました。それから持ち味のフィールドプレーを殺さずにセットプレーをどうやって安定させることができるのか、自分にベクトルを向けて練習に取り組むようになりました。徐々にスローイングが良くなり、FWコーチからも『変わった』と言われるようになって3年からメンバーに絡み出したんです。コーチからのアドバイスは良いきっかけになりました」

コベルコスティーラーズにも有田隆平選手という日本代表を経験している不動の2番がいます。

「(アンドリース・)ベッカーコーチと(スティーブ・)カンバーランドコーチと話す機会があり、その時に『1年目からレギュラーを取る』という強い気持ちで臨んでほしいと言われたんです。有田さんは素晴らしい選手ですが、有田さんからレギュラーを奪うつもりでいます。先輩の良いところを見て吸収し、1年目からスタメンを獲得できるよう頑張ります!」

トップリーグで対戦したいチームはどこですか?

「武井がリコーに入部したので、リコーと対戦し、トイメンでやり合いたいですね。コベルコスティーラーズに入部した理由がここなら成長できると思ったからなので、成長して、個人としてもチームとしても武井に勝ちたい。僕にとって武井は永遠のライバルであり、いつか越えたい"壁"なんです」

武井選手との対戦が楽しみですね。レギュラーを獲得するためにレベルアップさせたいところはどこですか?

「やはりセットプレーです。あと、神戸のラグビーは運動量が必要だと思いますので、そこも磨いていきたいです!」

では最後にファンの皆様方へメッセージをお願いします。

「コベルコスティーラーズという長い歴史があり、何度も日本一になっている名門チームに入部することができ嬉しく思います。新人らしくフレッシュさを出し、かつ、積極的に取り組んでスタメンを勝ち取ることができるよう頑張りますので、ぜひ応援よろしくお願いします!」

走り回って、タックルして、サポートして、誰よりもハードワークするのが持ち味です!

粥塚 諒

Ryo Kayutsuka

PROFILE
  • 1997年7月30日生まれ(22歳)、茨城県つくば市出身
  • ツクバリアンズジュニア→流通経済大学ドラゴンズU15→流通経済大学付属柏高校→流通経済大学
  • ポジション/FL
  • 身長・体重/183cm・98kg
  • 代表歴:高校日本代表、U20日本代表、7人制日本選抜
まずラグビーをはじめた年齢ときっかけを教えてください。

「ラグビーをはじめたのは小学4年からです。兄が高校のラグビー部に入り、大学でも競技を続けていました。本当は野球がしたかったのですが、両親が兄の影響でラグビーの魅力にすっかりハマってしまって、両親から勧められたことがきっかけで家の近くのラグビースクールに入ることになりました」

粥塚選手もラグビーにハマったと。

「小、中学生の頃はそれほどでもなかったですね(苦笑)。高校の時に強豪校へ進み、試合に出られるようになったことが大きかったように思います。それまではCTBをしていたんですが、高校1年の時にチームの中では大きい方だからという理由でLOをやることになりました。最初は体をガンガン当てるので、『なんだ、このポジションは!』と思いましたし、それに中学時代、僕は週末しか練習をしていなかったので周りの選手とレベルの差を感じました。特にフィジカルは圧倒的な違いがあったので、1年の時に体をしっかり鍛えて、2年でレギュラーを獲得し試合に出られるようになってどんどん好きになっていったように思います」

高校3年の時に出場した全国高校ラグビー大会2回戦の仙台育英高校戦では5トライをマークしているんですよね

「LOというポジション柄、これまであまりトライをする機会がなかったのですが、その試合は5トライを取って自分でもびっくりしました!1試合で5トライというのはこれまでのラグビー人生の中で最高記録です。試合には負けましたが、3回戦の石見智翠館戦でも1トライをマークして、3年の時の花園は印象深いです」

高校日本代表にはNo.8で選出されましたが、どうでしたか?

「ずっと2列目でプレーしていたので、No.8の動きがわからないまま日本代表の合宿に参加しました。3列目は2列目よりも攻守にわたり臨機応変さが求められますので難しかったです。No.8でプレーしたことは良い経験になりましたが、スコットランド遠征では久しぶりにリザーブでの出場もあり、悔しさを感じました」

FLでプレーするようになったのはいつからですか?

「大学1年からです。大学に入って2試合目の練習試合でFLに起用されました。それからずっとFLです。3列目の経験は高校日本代表の時だけだったので、先輩から教えてもらい、徐々に動きがわかってきました。『試合に出たい』という一心で練習に励み、先輩たちに食らいついていったら、1年からレギュラーを勝ち取ることができました」

LOからFLに転向し、どういうプレーを強みにしようとしましたか?

「鍛えてはいましたが、フィジカルがそれほど強いわけではありません。なので、走り回って、タックルして、サポートして、誰よりもハードワークをしようと意識しました。それは今でも変わりませんね。ただ一度、3年の時に卒業した先輩の穴を埋めようと、その人と同じプレースタイルを目指したことがあります。アタックの時に無理やりボールをキャリーするなどしてしまって、スランプに陥りました。その時にもう一度自分のプレーを見つめ直して、ハードワークという原点に立ち戻り、また良いパフォーマンスが発揮できるようになりました」

コベルコスティーラーズでいうと橋本大輝選手のようなプレースタイルでしょうか。

「そうだと思います。練習が再開したら、橋本さんのプレーを間近で見て近づいていけるよう頑張ります!」

今後はどこを伸ばしていきたいですか?

「一番はフィジカルですが、すべてを成長させたいです。大学のコーチから『常に学ぶ気持ちを忘れず、謙虚に人の話を聞いて成長していくことが大切だ』と言われました。その言葉を胸に刻んで、いくつになっても日々成長していきたいです」

大学では1年から試合に出場していました。コベルコススティーラーズでももちろん1年目からレギュラーという気持ちはあるのではないでしょうか?

「もちろんです!『試合に出たい』という気持ちが原動力なので、コベルコスティーラーズでも1日も早く公式戦のジャージを着てグラウンドを走り回れるようにしたいです」

コベルコスティーラーズで達成したい目標は?

「小学4年からラグビーをはじめて、これまで日本一を経験したことがないので、優勝に賭ける思いは強いです。試合に出て、日本一の景色を見てみたいです!」

ではファンの皆様方へメッセージをお願いします。

「新型コロナウイルスの感染拡大防止のため自粛生活が続いていますが、この事態が終息し、ラグビーができるようになりましたら、皆様を元気づけるような熱いプレーをお見せしたいと思います。応援よろしくお願いします!」

loading