取材日:2019年4月25日
新加入選手インタビュー Part.2 ブロディ・マクカラン選手
2019年度新加入選手インタビューの第2弾は、帝京大学で1年からレギュラーとして活躍し、昨シーズンはバイスキャプテンとしてチームを牽引したニュージーランド出身のブロディ・マクカラン選手が登場。
日本でプレーすることになったきっかけや神戸製鋼コベルコスティーラーズで達成したいこと、今後の目標などを伺いました。
コベルコスティーラーズの創部100年までプレーし続けられるよう頑張ります!
ブロディ・マクカラン
Brodi Mccuraran
PROFILE
- 1994年5月24日生まれ(24歳)、ニュージーランド出身
- ハミルトンボーイズ高校(ニュージーランド)→帝京大学
- ポジション/FL、No.8
- 身長・体重/192cm・105kg
チームマンになりたい!
多くのトップリーグチームからオファーがあったと思いますが、コベルコスティーラーズに入部を決めた最大の理由を教えてください。
「一番はウェイン・スミスの存在です。彼がこれまで何を成し遂げてきたのかをよく知っていますし、それがどれだけ大きなことであるかも理解しています。彼がいるチームでプレーすることが、成長するためにベストな道だと思ったからです。また、ウェイン以外のコーチングスタッフも素晴らしい。コベルコスティーラーズで、すべてにおいてレベルアップしたいです」
チームの印象は?また練習から感じたことは?
「はじめてクラブハウスを見た時、古さを感じましたが、逆にそこに魅かれました。先輩が作り上げてきた歴史やチームの文化を肌で感じて、気持ちが引き締まりましたね。練習は、新チームが始動して、まだ10日ほどですが、競争意識の高さを感じます。お互いを高め合いながらポジション争いをしているなって。でも、ギスギスした雰囲気ではなく、常に笑顔で励まし合っている。そういう環境でトレーニングを積めて幸せですね!」
どういうプレーでチームに貢献したいと思いますか?また、持ち味を教えてください。
「昨シーズン、コベルコスティーラーズの試合を見ていると、FWがエッジ(グラウンドの端)でパスをもらってプレーするシーンが何度もありました。スキルを活かしてエッジでのプレーでチームに貢献したいと思います。また、大学時代、バイスキャプテンをしていたので、リーダーシップも発揮したいです。持ち味は、ハンドリングスキルとタックルです」
今後、どういう選手になっていきたいですか?
「グラウンドの中でも、外でも、誰よりもハードワークしてチームに貢献するチームマンになっていきたいと思います」
「コベルコスティーラーズですべてにおいてレベルアップしたい」と言われましたが、特にどこを伸ばしていきたいのでしょうか。
「リーダーシップ能力はもっと伸ばしていきたいです。また、トップリーグでは、これまで以上に、タックルでもブレイクダウンでも、細部にこだわってプレーしないといけないと思います。そういう細かなスキルを身に付けていきたいです」
今シーズンの目標は?
「レギュラーを獲得することです!」
自信のほどは?
「コベルコスティーラーズの3列目は、能力の高い選手ばかりですが、勝つ自信はあります!」
帝京大学の同期である今村陽良選手や小畑健太郎選手、大学の先輩である重一生選手など、チームには知っている選手が多いのではないでしょうか。
「そうですね。大学時代に対戦した選手もたくさんいますし、すぐに馴染むことができました」
ちなみに、マクカラン選手から見た今村選手と小畑選手とは?
「小畑は、ひと言で表すと、いたずらっ子ですね(笑)。プレーヤーとしては、もともとスタンドオフだったので、視野が広いですし、ディフェンスもできる。今村は、真面目な性格ですね。プレーは、ロックとして身長はそれほど高くないですが、パワーがあって、ボールキャリーが得意です。小畑も、今村も、京都出身なので、二人はとても仲がいいですね」
日本に来たことが大きな転機に
ところで、マクカラン選手の「これまで」について伺いたいのですが、ラグビーをはじめたのは何歳からですか?また、そのきっかけは?
「6歳からはじめました。きっかけは、父がプレーしていたからです。父は、ワイカト(NPC)でプレーしていました。あと、父は、タッチフットボールのワールドカップに2度出場したことがあるんです。帝京大学でプレーしている弟(ニコラス・マクカラン)も、来日する前にタッチフットボールのワールドカップに出場しています。僕はU17のタッチフットボール代表になったことがあります」
タッチフットボールの経験は15人制ラグビーする上で、どういうところがプラスになっていますか?
「フットワークと状況判断ですね」
ハンドリングスキルは、タッチフットボールで身に付けたものではないのでしょうか。
「タッチフットボールでも身に付いたと思いますが、6歳からずっとラグビーボールを触っています。学校へ行く時はもちろん、いつでもボールを手に出かけて、友達と会ったら、パスをして、それがニュージーランドでは当たり前ですからね。そういう長年の習慣から身に付いたのだと思います」
高校はチャーリー・ローレンス選手と同じ、ハミルトンボーイズに通っていたんですよね。ファーストフィフテーンに入ったのはいつからですか?
「チャーリーとは、4歳、年齢が離れています。ニュージーランドの教育システムでは、高校は5年間通うので、本来なら1年かぶっているはずなのですが、彼は2年からハミルトンボーイズに入ったので、一緒にプレーしていないんですよ。ファーストフィフテーンは、最後の2年間、プレーしていて、バイスキャプテンをしていました。ただ、高校最後のシーズンに肩を何度も脱臼し、卒業後、手術を受けることになってしまって...。それから1年間はラグビーができませんでした」
帝京大学でプレーするきっかけは?
「高校卒業後、大工をしながら、フレイザーテックというクラブチームでプレーしていました。そこでコーチをしていたのが、帝京大学でスポットコーチをしていたグレック・スミスです。彼から日本でプレーしてみないかと声をかけられて、すぐに帝京大学の夏合宿に参加しました。そこで、岩出(雅之)監督からプレーを認めていただき、日本に行くことが決まりました」
日本でプレーすることに不安はなかったのでしょうか。
「不安だらけでした。言葉もわからないですし、文化も違います。家族もいません。でも、僕にはプロのラグビー選手になりたいという夢がありました。帝京大学にはトップリーグのチームに入れるチャンスがあります。日本で夢を叶えようと決意し、その一心で4年間過ごしてきました。日本に来たことは、人生の大きな転機になりましたね」
フレイザーテックには、コベルコスティーラーズの選手がチーフスに派遣された際、練習に参加していたと思います。
「僕の時は、前川(鐘平)さんと山中(亮平)さんが練習に参加していました。前川さんとはポジションが同じこともあり、よく話をしましたし、練習着もいただきました。今でもその時にもらった練習着は持っています。当時はまさか日本でプレーすることになるとは思ってもいませんでしたし、前川さんとチームメイトになるとは想像もしていませんでしたね(笑)」
来日当初は食べ物に苦労されたそうですね。あと、言葉はどうしたか?
「納豆、ひじきは苦手でしたね。日本語は、最初は全然わからなくて、大変でしたが、大学で週に3回、日本語のレッスンを受けていたこともあり、半年くらいで理解できるようになりました。あと、人の多さにも驚きました。僕のホームタウンは、ハミルトン郊外にあるトコロアという街なのですが、人口1万5000人くらいなんです。なので、東京には、なかなか慣れなかったです」
大学では1年から試合に出ていましたね。日本でプレーする上で苦労した点は?
「低いタックルには手を焼きました。ニュージーランドでは上半身へタックルします。だけど、日本では腿や膝にタックルが入る。ニュージーランドでは、肩以外、怪我をしたことがなかったのですが、日本では何度も膝や足首を負傷しました。このままでは『やばい』と思って(笑)、当たり方を変えるなど工夫しました」
今後の目標は日本代表としてW杯出場
大学の4年間で成長したところは?
「まず体が大きくなりましたね。高校時代から大きくしたいと思っていたのですが、どんなに食べても体重が増えなかったんです。大学に入ってから、日本食を3食しっかり食べて(笑)、徐々に増えていきました。1年の時は、84kgでしたが、15kgほど増え、4年の時は100kg近くにまでなりました。それと、3年からFWをまとめる役割をもらうなどし、リーダーとしての能力が身に付いたと思います」
大学時代は3度日本一を経験しています。コベルコスティーラーズで達成したいこととは?
「やはり日本一ですね。トップリーグで優勝したいです。あと、コベルコスティーラーズは、今年で創部91年です。100年までこのチームでプレーしたいですね」
トップリーグチームに入るという夢は叶えることができました。ラグビー選手として、次の目標は?
「ニュージーランドでラグビーをしている子供たちと同じように、昔はオールブラックスの一員になりたいと思っていましたが、日本に来てからは、日本代表を目指しています。日本代表として、ワールドカップに出場することが、今の大きな目標です」
期待しています。では最後にファンの皆様にメッセージをお願いします。
「『ブロディ』と呼んでください!コベルコスティーラーズの一員として、チームに勝利を呼び込めるように頑張ります。応援よろしくお願いします」