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KOBELCO

close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

退部選手インタビュー Part.4

 取材日:2019年2月13日

退部選手インタビュー Part.4

「プロとして結果を出さないといけない。自分自身と向き合ってきた10年間でした」

正面健司

KENJI SHOMEN

PROFILE
  • 1983年5月1日生まれ、大阪府守口市出身
  • 大阪ラグビースクール→東海大仰星高校→同志社大学→トヨタ自動車ヴェルブリッツ→神戸製鋼コベルコスティーラーズ(2009年入部/10年間在籍)
  • ポジション/FB
  • 2018-2019シーズンまでの公式戦出場回数/106
トヨタ自動車ヴェルブリッツから移籍してから10年が経ちました。

「あっという間の10年間でした。トヨタ自動車を辞めようと思ったのは、実は海外にラグビー留学をしたかったからなんです。だけど、両親に反対され、考えた結果、ラグビーにより専念したいとの思いから、プロとして他チームに移籍することにしました。いくつかのチームから誘っていただきましたが、平尾(誠二)さんや大畑(大介)さんといった大学や高校の先輩から声をかけていただいたこと、高校時代の恩師からも勧められたこともあり、コベルコスティーラーズへ移籍することに決めました。当時、コベルコスティーラーズは低迷していましたが、僕が入ることで輝きを取り戻すことができるんじゃないかと思っていました。なかなか勝てなかったですが、最後の3年間以外は試合にもたくさん出ることができましたし、関西出身ということでファンの皆様方にも可愛がっていただき、コベルコスティーラーズに移籍して良かったと思います」

大学の先輩後輩という間柄ですし、平尾誠二元GMとの思い出もたくさんあるのではないでしょうか。

「よく声をかけていただきましたね。練習後や試合後にロッカールームで、良いプレーをした時は『あれは、よかった!』と褒めていただいたり、逆に『あのプレー、あかんかったな』と指摘されたりしました。でも、10あれば、褒められるのは3くらいの割合で(苦笑)。あと、食事にも時々連れていってもらいました。いつもたわいのない話ばかりしていましたが、一番印象に残っているのが、負けた後の選手の表情のこと。『どうしてヘラヘラ笑っているんや』と怒っていらっしゃいました。僕も確かにそうだなと思ったのですが、それをチームに浸透させることができなかった。この10年間には、バイスキャプテンやBKリーダーといった役割をいただきましたが、何もできなかったなと悔やまれます」

正面選手にとって、平尾元GMとは?

「ひと言では難しいのですが、平尾さんに言われると『やらないといけない!』と自然とスイッチが入り、モチベーションが上がる。僕にとってはそんな存在でした」

コベルコスティーラーズで得たものとは?

「平尾さんや苑田(右二)さんが指揮されていた頃は、個人の判断を重視する自由なラグビーをしていたのですが、外国人がヘッドコーチを務めるようになってから、チーム全体がいろいろと変わっていきましたね。苑田さんのラグビーは、自分の持ち味をいかすことができたのですが、ギャリー(・ゴールド)の目指すラグビーは、キックを蹴って、テリトリーを獲得する手堅いラグビーだったので、自分の魅力を発揮することは難しかった。ジム(・マッケイ)が指揮をとった2年間と今シーズンも、シェイプは決まっていて、僕がやりたいラグビーとは少し違っていた。それに、スタンドオフやフルバックをやりたいという気持ちがあったのですが、ウイングでプレーすることが多くて...。ただ、この10年間に、いろいろな監督と出会えて、いろいろなラグビーを経験できたことは、今後に生かすことができると思います」

世界的名将ウェイン・スミス総監督から指導も受けました。

「ウェインの指導は、芯がぶれず、一貫性があります。そこがすごいところだと思います。ギャリーとアリスター(・クッツェー)の指導も一貫性がありました。それを感じることができたことも良かったです」

ラグビーをする上でのモチベーションとは?

「プロとしてプレーしていましたから、1年1年結果を出さないといけない。そう思って、自分自身と向き合いながら日々取り組んできました。だから、DC(ダン・カーター)のこともライバルですし、同じポジションの選手は全員ライバルだと思っていました。だから、この3年間について言うと、試合に出ることができなくて、悔しさしかありません。あと、子供が生まれてからは、彼らの記憶に残るまでプレーしたいと思っていました。今、長男が小2、次男が5歳なので、それはできたように思います」

1年1年結果を出すために気をつけていたこととは?

「体幹トレーニングは毎日欠かさずやっています。骨折をしたこともないですし、大きな怪我なくラグビー人生を送れているのは、体幹を鍛えてきたことと丈夫に産んでくれた母のお陰だと思っています。それと、32歳で初めて肉離れを起こしてからは、お酒を止めました。体が資本ですので、怪我をしない体づくりを意識しています」

印象に残る試合があれば教えてください。

「試合ではないのですが、印象に残っているトライはあります。昨シーズンの第6節vsヤマハ戦と5位・6位決定戦vs東芝戦のトライです。やまちゃん(山中亮平)からもらったパスが良かったこともありますが、ボールをもらうまでの動きで勝負でき、会心のトライになりました」

今後について教えていただけますか?

「まだラグビーを続けたいという思いがあります。どうなるかわからないのですが、あたたかく見守っていただけたらと思います」

では最後にファンの皆様方へメッセージをお願いします。

「スタジアムやイベント会場で声をかけていただき、ファンの皆様方から愛情を感じていました!10年間ありがとうございました。これからも応援よろしくお願いします」

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