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-Long interview-

2019/04/22 | 取材日:2019年04月09日 (ラファエレ ティモシー)・2019年04月09日 (平原大敬)

新加入選手インタビュー Part.1 ラファエレ ティモシー選手/平原大敬選手

今シーズンからチームの一員となる選手たちのインタビューをお届け。

第1弾は、コカ・コーラレッドスパークスから移籍のラファエレ ティモシー選手と豊田自動織機シャトルズから移籍の平原大敬選手。

ラファエレ選手は、現在、ラグビーワールドカップトレーニングスコッドの一員として活動しています。

また、平原選手は、3月上旬、一足早くチームに合流。両選手に意気込みなどを伺いました。

取材日:2019年4月9日

移籍を決めるのは難しい判断でした。コベルコスティーラーズでさらに成長したい

ラファエレ ティモシー
Lafaele Timothy

PROFILE

■1991年8月19日生まれ(27歳)、サモア出身

■デラセラカレッジ(ニュージーランド)→山梨学院大学→コカ・コーラレッドスパークス

■ポジション/SO、CTB、FB

■身長・体重/186cm・98kg

■代表キャップ/14(日本)

新しいチームで転校生のような気分です
−はじめまして。何と呼べばいいですか?
「ティムと呼んでください。前のチームでもそう呼ばれていました」
−日本語が上手ですね!(※このインタビューは通訳なしで行いました)
「まだまだです。日本語は難しいですね」
−ではまずティムさんが5年間所属したコカ・コーラレッドスパークスからコベルコスティーラーズに移籍を決めた理由を教えていただけますか。
「コカ・コーラを退団して、コベルコスティーラーズに移籍することは難しい決断でした。コカ・コーラはチームメイト同士仲が良くて、大好きでしたから。だけど、選手としてもっとレベルアップしたいと思い移籍することに決めました。コベルコスティーラーズには素晴らしいコーチングスタッフがいます。それに、ラグビーも、日本代表のようにスペースにボールを運んで、見ていて楽しい。好きなラグビースタイルなので、挑戦してみたいと思いました」
−コカ・コーラは、昨シーズン入替戦に敗れてトップチャレンジリーグに降格することになりました。それも理由のひとつなのでしょうか。
「それもあります。でも一番は自分自身の成長のためです。このままチームにいてもプレーのレベルが上がらないのではないかと思いました。コベルコスティーラーズという強いチームでレギュラーになれるようチャレンジしたいです」
−コベルコスティーラーズには、昨年3月までコカ・コーラでプレーしていた有田隆平選手がいます。また、3年前まで同じくコカ・コーラでチームメイトだった平原大敬選手も豊田自動織機シャトルズから移籍することになりました。
「そうなんです(とびきりの笑顔を見せながら)!有田はいつも真面目にラグビーに取り組みますし、プレーヤーとしても素晴らしい。コカ・コーラにいた時、有田はチームで唯一日本代表に選ばれていて、僕はずっと尊敬していました。平原も、ラグビーは、真面目。普段はジョークをいうし、面白い人です。二人がチームにいることも心強いです」
−不安はありますか?
「少しね。山中(亮平)や(中島)イシレリ、日和佐(篤)、山下(裕史)、(ヘイデン・)パーカー、(グラント・)ハッティングとサンウルブズや日本代表で一緒の選手もいますが、初めて会う選手も多いので、転校生のような気分です」

トップリーグチームに入ることが目標でした
−ところで、ティムさんはサモア出身なんですね。ラグビーをはじめたのは何歳からですか。
「両親はサモア人で、僕もサモアで生まれました。4歳の時にニュージーランドに移住し、ラグビーは6歳からはじめました。子供の頃からずっとスタンドオフをしていて、当時はカルロス・スペンサーが好きでした」
−高校はツイ ヘンドリック選手(サントリーサンゴリアス)と同じ学校に通っていたんですね。
「4歳先輩です。ほかにも、NTTコムのレイルア マーフィーもデラセラカレッジ出身です。彼は大学も同じで、山梨学院出身なんです」
−日本でプレーしようと思ったきっかけは?
「山梨学院大学で以前スポットコーチをしていた人がニュージーランドに住んでおり、彼から日本でプレーしてみないかと声をかけてもらいました。両親も賛成でしたし、僕もいい機会だと思ったので、来日を決めました」
−日本のイメージは?
「東京、富士山、寿司、それくらいしか知らなかったです(笑)。日本がどこも都会だと思っていたら、大学があるところはとても田舎で驚きましたね」
−日本のラグビーについては?
「日本に来るまではほとんど知らなかったのですが、声をかけてもらった人からトップリーグのことを教えてもらいました。監督からも大学で4年間、頑張ればトップリーグでプレーできるかもしれないと言ってもらったので、トップリーグチームに入ることが目標でした」
−その目標を実現させましたね。
「(笑顔を見せながら)当時コカ・コーラのGMだった向井(昭吾)さんに声をかけてもらったんです。その前に、ほかのトップリーグチームのトライアウトを受けに行ってダメだったので、誘ってもらった時はとても嬉しかったです」
−向井氏から「日本代表も目指せる」と言われたそうですね。
頑張れば目指せると言われましたが、僕はなれるとは思っていなかったですし、自信もありませんでした」

持ち味は周りをいかすプレーです
−とはいえ、コカ・コーラに入部して3年目の秋、日本代表に選出されました。
「驚きました!なんで、僕が?間違っているんじゃない?って(笑)。コカ・コーラに入ってから1年目、2年目はほとんど試合に出ることができなくて、2年目が終わった後のシーズンオフに当時のS&Cコーチにメニューを作ってもらって、ストレングスとスピードのトレーニングを積んだんです。ノートには『日本代表になる』と目標を書きましたが、ただ書いただけで、そのシーズンの一番のターゲットはチームで試合に出ることでした。そして、スピードも上がって、トップリーグの試合にスタメンで出られるようになったんですが、日本代表に招集されるとはまったく予想もしていなかったので、びっくりしました」
−初キャップのアルゼンチン戦はリザーブでしたが、その後、ヨーロッパで行われたジョージア、ウェールズ、フィジーとの3試合は先発出場でした。しかもセンターでの出場でしたね。
「それまでスタンドオフしかしたことがなかったのですが、代表でいきなりコーチからセンターの方が合っていると言われて、それも驚きました。それにラグビースタイルが、コカ・コーラでやっているものと全く違うので、最初は難しかったです。だけど徐々に慣れていって、試合も楽しむことができました」
−センターは好きになりましたか?
「最近はセンターの方が好きですね!」
−昨年秋のオールブラックス戦も敗れましたが、日本代表のセンターとしてティムさんは2トライをあげる活躍ぶりを見せました。
「初めて経験するオールブラックスとの対戦だったので気合いが入っていました。いつにも増して試合前は緊張していましたが、グラウンドに出たら、体が動いて、いいパフォーマンスができました。観客も多くて、あの試合はこれまでで一番楽しかったです」
−日本代表として今後はワールドカップ日本大会出場がターゲットですよね。
「はい、メンバーに入ることができるよう頑張ります!」
−自信はありますか?
「あります!だけど、良い選手がたくさんいるので、負けないように自分の持ち味を発揮し、アピールします!」
−持ち味とは?
「スペースを探してディフェンスの裏にキックを蹴ったり、空いているスペースにパスをしたり、周りをいかすプレーが好きです」
−そこでアピールして、ワールドカップに出場する。ワールドカップでは、日本代表はティムさんの母国であるサモア代表と対戦します。
「小さい頃はサモア代表になりたいと思っていたんです。不思議な感じがします」
勝利のために誰よりもハードワークする
−合流はまだまだ先になりそうですが、コベルコスティーラーズのラグビーをする上でティムさん自身がイメージしているポジションは?
「センターでも、スタンドオフでも、コーチに言われるポジションを全力でやるだけです。まだゲームプランはわかりませんが、コーチと話をして、僕の仕事は何であるのかを聞いて、それをしっかり遂行したいと思います」
−今後、成長させたいところは?
「試合に向けての準備の部分です。映像を見て、対戦チームの分析をして、フォーカスポイントを決めて、より良い練習をするなど、まだまだできることがあると思います。また、チームメイトからも学ぶことが多いと思いますので、どんなことを身に付けることができるのか楽しみです」
−コベルコスティーラーズで達成したいこととは?
「優勝です!そのためにも試合に出たら、チームメイトとチームのために誰よりもハードワークします」
−では最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。
「どの選手よりもハードワークすることがモットーです。コベルコスティーラーズの勝利のために誰よりもハードワークしますので、応援よろしくお願いします!」

取材日:2019年4月9日

コベルコスティーラーズで人生初の日本一とトップリーグ100試合を達成したいですね

平原大敬
Hirabara Hirotaka

PROFILE

■1986年12月21日生まれ(32歳)宮崎県出身

■宮崎ラグビースクール→高鍋高校→帝京大学→コカ・コーラレッドスパークス→豊田自動織機シャトルズ

■ポジション/PR、HO

■身長・体重/176cm・112kg

最後までトップリーグでプレーしたい!
−「ひらばら」と読むんですね。宮崎には多い名前なんですか?また何と呼ばれていますか?
「宮崎でも普通に『ひらはら』が多いです。よく変わっていると言われますね。周りからは『ばら』と呼ばれています」
−最初に豊田自動織機シャトルズから移籍を決めた理由を教えてください。
「一番の理由は、あと何年、現役を続けていられるかわかりませんが、最後までトップリーグでプレーしたいという思いからです。豊田自動織機は、昨シーズン入替戦に敗れ、トップチャレンジリーグへ降格が決まりました。僕はこれまでコカ・コーラで8年、豊田自動織機で2年プレーしてきて、トップリーグ90試合に出場しています。豊田自動織機には恩を感じていますので、随分悩みましたが、トップリーグ100試合を達成したいという気持ちもあり、移籍を決めました」
−豊田自動織機に恩を感じているというのは。
「コカ・コーラではもともと社員として働きながらプレーしていたのですが、引退後は家業を継ぐことを決意し、入部6年目にプロに転向しました。それから2年間プロ選手としてプレーしていましたが、契約が終了し、その時に声をかけてくれたのが豊田自動織機だったんです。拾ってもらったという恩があったので移籍は心苦しかったのですが、トップリーグでプレーしたいという気持ちの方が勝りました。それを前のチームに理解してもらって、今、ここにいます」
−コカ・コーラや豊田自動織機で何度もコベルコスティーラーズと対戦しています。コベルコスティーラーズのイメージとは?また昨シーズンの対戦から感じたことを教えてください。
「これまでは強いチームですが、波があって、自分たちのラグビーを80分間やり切ることができないという印象を持っていました。しかし、昨シーズンは、自分たちのラグビーをやり通していたように思います。アタックは、ダン・カーターが加入し、さらによくなりましたし、ディフェンスも素晴らしかった。特にディフェンスは、チームで取り組んでいることがすぐに出るところなので、春からしっかり強化してきたんだろうなと感じましたね。日本一のチームでプレーできることは幸せなことですし、文化などを学びたいと思います」
−関西圏で生活するのは初めてのことですよね。
「初めてですね。大学は関東ですけど、もともと九州から出るとは思っていなかったので、それが愛知に行って、今は神戸。すべてのことが新鮮ですね」

メダリストに敗れて水泳から楕円球の世界へ
−ところで、平原選手がラグビーをはじめたのはいつからですか?
「中学2年の終わり頃です。それまでは4歳から水泳をやっていたんですが、いとこがラグビーをしていたこともあり、空いている日にやってみないかと誘われて宮崎ラグビースクールに入部したんです。それから月曜から土曜まで水泳部、日曜はスクールでラグビーをしていました」
−水泳部だったということは、中学生の頃はスリムだった?
「細かったですよ!人生のピークでした(と、遠い目をする平原選手...)。水泳部のキャプテンをしていましたし、中学生の頃はモテていました(笑)」
−ラグビーをはじめた頃は1列目ではなかった。
「センターをしていました。まさかプロップやフッカーをするようになるとは思ってもみなかったですね(笑)」
−ラグビーはすぐにできるようになりましたか。
「最初はラグビースクールに行くこと自体が嫌でしたね。日曜だけだったので、毎週試合だったのですが、ルールも知らないのに出されて、監督や3年の先輩に怒られて(苦笑)。毎週どうやって休もうかと考えていました。だけど、自分たちが3年生になり怒られることもなくなりましたし、ルールや動きがわかってきて、楽しくなってきたんです。それで高校は、県の強豪校である高鍋に進むことに決めました」
−水泳に未練はなかったのでしょうか。
「中学の時に県大会でオリンピックに4度出場している松田丈志さんに負けたことが、水泳をきっぱりと辞めるきっかけになりました。チームの中では一番早かったので自信があったのですが、大差で敗れ、レベルの違いを感じて...。あと、水泳は個人競技ですが、ラグビーをはじめてから団体競技の魅力にハマったこともあり、すぐに気持ちを切り替えることができました。実際、ラグビーをやってよかったと思いますね。ラグビーは競技をする人数が一番多いので、たくさんの出会いがあり、その数だけ考え方などに触れることができますから。自分の世界が広がってくることも楽しいですね」

ポジションはどんどん前になりました(笑)
−先ほどラグビーをはじめた頃はセンターだったと言われていましたが、FWでプレーするようになったのはいつからですか?
「中学3年の時に花園予選を見に行って、はじめて15人制の8人で組むスクラムを見たんです。その時の高鍋高校のNo.8の先輩がカッコよくて、高校に進んだらNo.8をしようと思いました。それで、高校に入ってからは、勝手にFWの練習に入っていましたね。監督からはなんでセンターをしないんだとは言われましたけど(笑)。高校時代はNo.8をやっていて、宮崎選抜やU19ではフッカーをしていました」
−フッカーは高校の時にもプレーしていたんですね。
「本格的にスクラムを組みだしたのは、大学からです。ただ、背が高くなかったので、大学でもプレーするならフッカーの方がいいと言われていたこともあり、チームではNo.8だけど、スローイングの練習はしていましたね」
−その後、帝京大学へ。試合にはいつから出ていたのでしょうか。
「2年からです。帝京は、FWを強みにしていたので、フッカーやプロップ(3番)でプレーしはじめたこともあり、最大で40kgほど体重を増やして、体を大きくしました。もともとセンターやNo.8をしていたので、ボールを持つことが好きでしたが、柔軟性がある性格なのでチームから求められていることをやろうと思い、スクラムを強くしようと取り組みました」
−ご自身の強みを教えてください。
「スクラムですね。高校時代はディフェンスが好きでしたし、センター、No.8の経験があるので運動量でも負けたくないという気持ちもありますが、どこが強みかと言われるとスクラムです!」
−コベルコスティーラーズでもスクラムでチームに貢献したい?
「もちろんです。昨シーズン、豊田自動織機でも一番チームに貢献できたのはスクラムでした。スクラムを期待していると言っていただいていますので、その部分で貢献したいですね」
ファンの皆様が盛り上がるような強いスクラムを組む!
−ちなみにフッカーとプロップ、どちらが好きなポジションですか?
「コカ・コーラでは2番と3番、半々くらいの割合でやっていました。豊田自動織機でも最初はフッカーをしていたのですが、3番の選手が怪我をしてからプロップでプレーして。プロップの時は、ほかの3番の選手よりも運動量で勝負していましたが、両方のポジションを経験した上で自分の強みを一番出せるのはフッカーだと思っています。フッカーとしてのスクラムワークが僕の武器。もちろんコーチと相談して決めることですが、僕はフッカーをやりたいと思っています」
−コカ・コーラでチームメイトだった有田隆平選手とまたライバルになりますね。
「隆平はフィールドプレーが得意です。僕もそこで負けたくないですが、一番はスクラム。持ち味が違いますが、互いに切磋琢磨していきたいですね」
−コベルコスティーラーズには平島久照選手、山下裕史選手という重鎮(笑)プロップがいます。百戦錬磨のプロップと一緒にスクラムを組むことに対してどう思われますか?
「平島さんは同じ九州出身ですし、面識もあります。ヤンブーさん(山下裕史)からはスクラムを組んだ時にダメ出しをされないようにしないと!認めてもらえるように頑張ります」
−コベルコスティーラーズで達成したことは?
「日本一です。大学時代に日本一を目指していましたが、成し遂げられないまま卒業しました。コカ・コーラに入ってからも日本一を目指していましたが、現実は毎年入替戦でした。もう一度優勝を争えるようなチームで緊張感を持ってプレーできることに幸せを感じますね。決勝という大舞台で、多くの観客が見ている中で試合をしてみたい。現役のうちに一度は優勝を経験したいと思います」
−では最後にファンの皆様方へメッセージをお願いします。
「ファンの皆様が盛り上がるような強いスクラムを組みたいと思います。試合に出た時はスクラムにぜひ注目してください。応援よろしくお願いします」

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